昨日は、京都冬の特別公開に行ってきた。
コースは、寺町阿弥陀寺、泣虎報恩寺、妙顕寺、大徳寺聚光院。
朝9時前には家を出て、地下鉄今出川駅でおり、第一の目的地寺町阿弥陀寺へ。
ガイドの説明の概略。
○信長の父信秀と長男信広が合戦に出たとき身籠の女性を発見。結果女性は死ぬが赤ん坊は助かり信長と一緒に育てられた。
○その後その子は出家を望み、修行の結果清玉上人とな正親町天皇の帰依を受けるようになった。
○正親町天皇の命により信長に世の中を収めて欲しいと信長に伝えるなど影に動いた。
○本能寺の変で、信長が危ないと聞き、急いで本能寺に駆けつけるが、既に明智勢に囲まれておいた。何とか中に入り既に自害した信長を内々に荼毘に付し密かに阿弥陀寺に持ち帰り法要を行った。
○上人は二条城で自害した信忠や本能寺の変で亡くなった森蘭丸などの配下の供養埋葬し、当寺内に墓がある。
○天下を取った秀吉から再三にわたり信長の法要を要請されるが、既に終わっているとの理由で拒否。
○秀吉は、その後京都の寺院を寺町に強制移設。阿弥陀寺も広大な敷地を保有していたが10分一程に縮小させられた。法要を拒否したことが一因とも言われている。
○その後秀吉は一周忌を大徳寺で行い、総見院と称している。
と説明していた。参観者のなかで本能寺で話を聞いた人が、本能寺では地下にあった爆薬に火をつけて自害したと聞いた。どちらが正しいのか。
更にその人は、旧阿弥陀寺には信長稲荷があったが、今は今宮神社内に移設されている。
もともとの場所には何の碑もない(神園さんの家のそばとか)し、今宮神社ないにも説明はないとのこと。
なかなか地元の歴史通の方が多い。何かを話しているときはそばにいって聞いてみるのも一考。
直系しか記載されていない家系図。
その後、相国寺へ父の墓参り。その途中にある宗旦稲荷神社。
上立売通を西へ行き堀川通りの手前の小川通りを右折し、泣虎で有名な報恩寺へ。
梵鐘の由来
報恩寺から小川通りに戻り北上。すると茶道具みやしたがあったので入る。
高級な茶道具を鑑賞。
このあたりは表千家、裏千家の建物が非常に多いところ。
寺之内通りで右折しすぐに妙顕寺。
日蓮宗で最初にできたお寺でかつ西の拠点だけあって立派なもの。資料も豊富。
何妙法蓮華異郷ののあの自体は、法の字が中心でその他の字にから横に線が伸びているとのこと。
本堂の天井には今は寄付した檀家の家紋が描かれている。
これはかつて天井が崩落して修繕のための寄付をした方々の家紋とのこと。
ではなぜ天井が崩落したか?ガイドさん曰く長年の鳩の糞が積もり積もって崩落したとのこと。
当時の檀家の人に聞いたので間違えはないとのことで、以前は龍が描かれていたとのこと。
見てみたいが何も残っていないとのこと。残念。
となりには尾形光琳と緒方家の墓がある。
妙顕寺を出て小川通へ戻り、表千家不審庵、裏千家の今日庵の横を通り、本法寺の中を抜け、堀川通をわたり、上御霊前通りを西へ。
表千家不審庵
裏千家の今日庵
大宮通で右折し北上。建勲通の手前の「ようしょくや」でハンバーグランチを食べる。
スープ、ハンバーグ、カキフライ、サラダ、ライス、コーヒーで850円でありがたい内容。
左大文字山
比叡山方面
標高111.7mの船岡山を一周して大徳寺へ。
途中に陶器の「うつわかん」があり中を覗く。
最後の目的地大徳寺聚光院へ。中は写真禁止。
別の塔頭龍源院
別の塔頭黄梅院
大徳寺の中の道
別の塔頭三玄院
仏殿が開いていたのでお参り方々写真を
大徳寺を出て北大路通りを西へ行き烏丸通で南下。途中大谷大学を覗く。
今出川駅に戻り帰路へ。
毎度ごちそうさまです!異国にいても詳しく京都寺社巡りができるとは、いい時代になったもんです^^
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