2023年1月22日日曜日

1月21日秦野歩こう会初参加 小田原七福神巡り

 2023年1月22日日曜日13:40 曇り

昨日は、秦野市観光ボランティアの会で知り合った五十嵐さんからのお誘いで、初めて

秦野歩こう会に参加。健康を目的に歩く会員制の会で40年近く運営されており、会員は

80名程いるとのこと。 

8:12 小田急線開成駅から足柄駅に向かう。フォームからみた富士山。快晴だ。

 
小田原駅で配布されていたパンフレット 
 
小田原城を中心に周囲をグルリと七人の福の神が取り囲んでいます。
北方を司る守護神として毘沙門天の潮音寺、南は相模灘に面し、海と船の神である恵比寿の報身寺、福徳財宝をもたらす布袋尊の圓福寺と福禄寿の大蓮寺があり、東には江ノ島明神を分霊した満願弁財天の福泉寺、西には延命長寿を与える寿老人の鳳巣院と出世財宝厨房守護の食物の神である大黒天の蓮船寺があります。
さらに小田原七福神には二宮尊徳を祀る二宮神社も加わっており、小田原ならではの七福神の巡りとなっています。


集合は、小田急線足柄駅(小田原駅の一つ手前の駅)、9時。

集合後幹事から今日の日程の説明があり、大黒天がある蓮船寺は城山地区にあるり急な

坂道にのためカットし、六福神としますとの説明があった。周りをみると70歳以上の

方が中心で(平均75歳らしい)止むを得ないかとため息!

9:29 最初に七福神の一つ毘沙門天がある潮音寺に到着

潮音寺は天文23年(1554年)に大休宗恵和尚によって開かれました。
山号は大徳山で、本尊は聖観世音菩薩です。
潮音寺のご宗旨は曹洞宗です。14世紀末、了庵慧明和尚が道了尊で有名な大雄山最乗寺(南足柄市)を開かれました。
そしてその門流の安叟宗楞和尚は総世寺(小田原市久野)を開き、小田原地域に曹洞禅が広められました。
この総世寺の第8世の大休和尚であり、久野・坂下・穴部・井細田・多古などの地域の人々のための菩提所として潮音寺をこの地に建立されました。

潮音寺の毘沙門天潮音寺の毘沙門天のご尊像は室町時代中期の成立とされ、天文23年(1554年)開創の潮音寺の歴史よりも古いご尊体で、明治から戦前までは久野坂下の地域の人々によって護持されていました。
特に昭和39年12月、植松房江先生が来山され、この毘沙門天の霊験を感得されたことを機縁に、老朽化していた毘沙門堂を再建され、平成2年に現在の毘沙門堂が落成しました。

毘沙門天王の10種類の福得
1.尽きることの無い福 
2.皆に愛される福
3.正しい判断力である智慧の福 
4.長生きする福 
5.家族や親族、部下などの信頼に恵まれる福
6.勝負に勝つ福 
7.田畑が豊作である福
8.家業が成功する福 
9.善い教えに出会う福
10,悟りを得られる福
毎月始めの3日間、身を清めて新しい服を着、北東の方に向かって毘沙門天王の真言「オンベイシラマンダヤソワカ」を唱えれば大きな福徳を得るとされています。

 









10:30 大稲荷神社の前を通過。

大稲荷神社の由来伝記によれば小田原城北条時代に修験者が旧竹ノ花地区内に修験堂を建立した。
武田家の臣曲淵氏が主家滅亡後徳川家に随身この地を采地として賜り、修験堂に稲荷大明神をおまつりしたことに始まり、その後天正十八年(西暦一五九〇年)初代大久保忠世公小田原城主となり、京都伏見稲荷大社の最北座田中大神を合祀し信仰ことに篤かったが、子忠隣公の時に幕府の忌諱に触れ改易となり、それ以来永年に亙り祭祀するものも無く荒廃にまかせた。
貞亭三年(西暦一六八六年)忠朝公小田原に帰藩が許され、その子忠増公の時に家臣清水氏の妹並びに側近内芝氏に御神託あり、その御告げに従い小田原城の鬼門除稲荷として再興したため、忠増公には老中執政職に昇進その御神徳の崇高広大にしてそのあらたかさに恐懼感激し、宝永三年五月(西暦一七〇六年)現在地の谷津山に御社殿を造営せられたものである。

因みに、神主が代表を務めるパシフィックオーシャンコーポレーションでは、海洋散骨層を執り行っております。
故人の遺骨を自然に還す散骨葬を希望される方が最近増えてきましたが、当社では、代表が大稲荷神社の神主であるため、しっかり供養をした後に散骨することができます。
また、海洋散骨の場合は、特に散骨エリアの指定はありませんが、当社は水産関係者に迷惑がかからない場所での散骨を国に申請して行っております。

10:32 次は満願弁才天がある福泉寺

曹洞宗寺院の福泉寺は、華岳山と号します。福泉寺は、陽林宗春居士(文正元年1466年卒)が開基となり、巨山秀壡(文明9年1477年卒)が開山したといいます。

福泉寺は450年前に創建された曹洞宗の古刹とのことでしたが、この辺りは昔から、谷津と呼ばれ、お寺の名前も福泉寺と言って泉が入っているように、かつては良質の泉が湧く田園地帯だったそうです。その為に、すぐ近くに”満願弁財天”のお社があり、この福泉寺の寺務所には”ご朱印”の貼り紙がありました。お願いすると”福泉寺”と”弁財天”の2つのご朱
印を受けられるとのこと。 七福神の中で、唯一女性の神さまということで、女性の参拝客も多いとか。






11:14 次は小田原駅でトイレ休憩後城山地区にある寿老人がある鳳巣院

曹洞宗寺院。 《小田原七福神・寿老人》

山号 實平山

院号 鳳巣院(ほうせんいん)

開基 土肥次郎実平

開山 天祐宗根

本尊 薬師如来像

 小田原七福神・寿老人として参拝。創建年や縁起等の詳細は分からずです。本堂が開かれており、寿老人もしかとお参り出来ました。




鳳巣院のまえにある浄土宗本誓寺。参道がよい。

本誓寺。永正4年創建、足柄三十三観音霊場24番

本誓寺の概要

浄土宗寺院の本誓寺は、當知山重願院と号します。本誓寺は、鎌倉の人藤枝某(法名安楽寺)が開基、飯沼弘経寺第三世傳蓮社曜輿西冏信公(永正4年)が開山となり永正4年(1504)に創建したといいます。六世大誉文賀は、江戸に転じて深川本誓寺を創建、深川本誓寺関東十八檀林の一として浄土宗僧侶の養成にあたっていたといいます。足柄三十三観音霊場24番霊場です。


本来であれば鳳巣院から陸上競技場の方へ上って行き大黒天がる蓮船寺へ行くのだが、

坂が急なのでカットされた。

12:03 小田原城の横を通り星槎城山(せいさしろやま)トンネルを抜け国道一号線を

横断。さらに海岸へ向かうと恵比寿神を祀る報身寺がある。

報身寺。小田原七福神の恵比寿、足柄三十三観音霊場

報身寺の概要

浄土宗寺院の報身寺は、永劫山最勝院と号します。報身寺は、寛正4年(1463)蓮澄法残が創建したと伝えられます。小田原七福神めぐりの恵比寿、足柄三十三観音霊場31番霊場です。






境内に咲くゴクラクチョウカ(南アフリカ固有の顕花植物の一種。常緑多年草でその劇的な花のために広く栽培されている。温帯地域人気の観葉植物)。
松が邪魔をしてしまった。
海岸線に平行に古道が通っており、その道の海岸側に会った古い家。雨戸として利用するのか上下に二本細い板がある。珍しい作りだ。
その古い家の先にあった立派な灯篭
12:20 古道を進むと次に福禄寿の大蓮寺があった。

浄土宗寺院の大蓮寺は、稲荷山一花院と号します。大蓮寺は、報蓮社能誉(寛正2年1461年卒)が開山となり創建、大道寺駿河守政繁の母寳地院(法名孤峯蓮馨比丘尼)が中興開基、その際に現寺号に改めたといいます。小田原七福神の福禄寿、足柄三十三観音霊場32番霊場です。




12:28 更に古道を進むと、後北条氏が作った土居の跡とその後ろには伊藤博文の別荘「滄浪閣」(後に大磯に移った)があった。

伊藤博文と小田原とのつながりは、1889年に、父の十蔵の隠居地として小田原町緑1町目8番地(現在の小田原市栄町)に居宅を建設しました。
自身も枢密院議長辞任の意志を表明して小田原への永住を決めていたとみられていて、
同年10月に海岸の御幸の浜に面した小田原町十字六百四十三番地(現在の小田原市本町)に別邸建設を開始しました。
そして、翌年の10月に「滄浪閣」と命名し、1896年2月滄浪閣の名とともに大磯に移って、小田原を去るまで居を構えていたそうです。
現在三の丸学区の「滄浪閣」跡には伊藤博文の像が建っています。三の丸学区に初代内閣総理大臣がいらっしゃったというのは驚きです。

見えにくいが「滄浪閣」の字が見える

12:31 圓福寺の手前に正恩寺鐘楼門があった。

正恩寺の鐘楼門

正恩寺は、浄土真宗大谷派東本願寺の末寺です。初めは、尾張国海東郡富田庄(現在名古屋市中川区)に創建され、後に三河国額田郡土呂に移されました。当時、三河国二股城主だった大久保七郎右衛門忠世の長子、忠隣の妻、妙賢院が日頃から当寺の住職信賢に帰依していたため、忠世が小田原城主となった後、文禄2年(1593)に当地に移し、妙賢院を中興開基としています。このため、正恩寺は「尾三相州転遷の道場」と呼ばれています。

この門は、木造・入母屋造瓦葺の楼門で、上層には、寛延3年(1750)に鋳造された梵鐘(直径2尺3寸、高さ3.5尺)がありましたが、昭和18年に供出されたままとなっています。

この鐘楼門は、正面に掲げられた「法性山」という山号を記した扁額の裏に、「寛政五年丑九月二十一日、大工牧岡藤左衛門・西田平七・松野作右衛門」と記されていることから、寛政5年(1793)に、3人の小田原の大工によって建てられたことがわかります。

建物は、7.6寸角・高さ15尺(4.5m)の欅材の通柱4本で造られ、柱はそれぞれ、上層に行くに従い内側に傾き、全体に貫とほぞにより組み立てれらています。

屋根と下層正面の開扉は後年の改修が見られますが、全体は当初の姿がよく残り、鐘楼門としては、関東地方南部で稀少なものです。



12:31 圓福寺着。

東寺真言宗寺院の圓福寺は、醫王山薬師院と号します。圓福寺は、宥山(元亀3年1572年寂)が開山となり、元亀2年(1571)青物町に創建、承応元年(1652)当地へ移転したといいます。小田原七福神の水掛布袋尊です。









13:14 ランチは天気もよいことから御幸の浜で。

早川方面を望む。

ランチ中気になった浜から突き出た先にある灯台らしきものを見に。
江ノ島方面を望む
 ミニ灯台?の先の波打ち際
13:19 御幸の浜でのランチ終了後小田原駅へ向かい解散。

今日は朝から寒い一日と聞いていたので厚着をして行った。大失敗であった。一日快晴で暖かい日和でウォーキングには最高であった。大黒天をカットされたことが残念だ。