2023年1月19日木曜日8:33 快晴
昨日18日は秦野市観光ボランティアと歩く企画に参加。テーマは「矢倉沢往還を歩く
矢倉沢関所跡から開成へ」。天気予報は午後に晴れるとあったが晴れたのは朝と解散後
だけ。肌寒いウォーキングとなった。
8:30小田急線新松田駅に集合。35分頃臨時増発バスで足柄古道入り口まで乗車。
今日のコース 地図左側の足柄古道入り口から古道を下り開成駅で解散のコース。
解散地点は我が家がある駅だ。近か!
9:12 徳川家康軍団の陣場跡。南足柄市の方によると家康はここを通っていないとのこと。井伊家が陣を引いたらしい。
春を感じる
末広家の庭先に碑がある
途中の景色
お気に入りの足柄平野方面の景色
10:51 足柄神社
足柄神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊東征の帰路に白鹿に化けて顕れた神とされ、足柄明神(足軽明神)と称し足柄峠に鎮座、「神奈川県神社誌」ではその創建を天慶3年(940)としています。足利尊氏と新田義貞とが争った建武2年(1335)頃には新田義貞が足柄明神の南にある原野に陣取ったと「梅松論」に記載されていますが、いつしか矢倉岳に遷座、矢倉明神社と呼ばれていました。最乗寺を応永元年(1394)に開山した了菴禅師の頃には既に当社は矢倉澤へ遷座していたとされます。矢倉沢郷と称される当地一帯18ヶ村の総鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し郷社に列格していました。昭和14年足柄神社と改称、南足柄の総鎮守です。
境内掲示による足柄神社の由緒
足柄神社社伝
足柄神社は、かつて坂の神として足柄峠に祀られたとされる足柄明神が矢倉岳、更に現在の苅野に遷座し矢倉明神社と呼ばれていました。昭和十四年(1939)年に足柄神社に改称されて、今も南足柄の総鎮守として信仰を集めています。
平成二十年に社殿の調査が行われ、いくつか特徴的なことが分りました。現在の社殿は、本殿と拝殿、幣殿とを廊下でつないでいますが、もとは独立して建っていました。本殿は三間社入母屋造で、桁行十五・五尺、梁行十一・七尺あり、県内でも数少ない大型社殿です。材質は欅の素木仕上げで、堅固さと優美さを備えています。本殿の各所には、獅子や龍など良質で細部にわたる彫刻や陽刻による装飾が施されています。本殿の建築年代は、境内の由緒碑によれば、慶応二(1866)年三月と記されています。
今回の調査から、この記述が妥当であることが分かりました。(南足柄市教育委員会掲示より)
隣接して観音堂がある。
11:25 大門通りという名の横道にあった碑群
11:32 日蓮宗弘行寺
弘行寺(ぐぎょうじ)は、神奈川県南足柄市雨坪にある日蓮宗の寺院。山号は関本山。弘安5年9月15日一泊の地。山号は地名から寺号は弘安年中に建立したことに因むという[1]。旧本山は大本山法華経寺(中山門流)、池上・感応寺法縁(関東堺法縁)。市内には大円寺もある。
弘安5年(1282年)、身延山久遠寺から池上に向かう日蓮が宿泊した下田五郎左衛門の邸が起源。弘安年間(1278年 - 1288年)に中老僧の日弁が寺とした。
境内には徳川家康側室「お萬の方(養珠院殿)」の母堂性殊院殿の墓があります。
12:45 ランチ後ウォーク開始 時宗龍福寺
南足柄七福寺 龍福寺 時宗 (恵比寿)
龍澤山吉祥院龍福寺は、時宗(開祖・一遍上人)の念仏道場として、二代目真教上人により永仁六年(1298年)に開かれました。『関本の三福寺』として古くから知られており、本尊阿弥陀如来坐像は鎌倉初期の作で、市指定文化財に指定されています。また、境内には義臣下田隼人の碑があり、堂内には石仏「おびんずるさん」があります。古来より、この石仏に触ると病が治ると信じられてきました。江戸時代には歴代の和尚が寺子屋を開き、文徹上人(当山三十三世)の『化源館』が、明治時代に『小学化源館』となり、南足柄小学校が開設されました。本尊は阿弥陀如来。石仏「おびんずるさん」に触ると病が治るご利益があると言われています。13:12 矢倉沢往還道標
13:15曹洞宗福田寺
天照山福田寺は、慶長元年(1596年)、荒井丹後守が開基となり、大松寺(竹松)七世秀壑宗松和尚を開山に請し、開創されました。爾来四百年、幾度かの戦争、堂宇の焼失、天災を乗り越え、現在三十四世に至っています。本尊は地蔵菩薩。
途中に風情のある景色が
14:30 開成駅西口に到着。解散!約10キロ2万2千歩のウォーキング。寒く意外と疲れた!
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