2013年4月30日火曜日

2013年4月30日火曜日8時42分 雨

今日は4月最後の日。外は雨。南側の山が雲に隠れ、霞がかかっている感じ。日本画の世界か!28日の坂本の写真を追加したい。



滋賀院門跡にある小堀遠州作の庭園。
池のさきのある灯篭。
   










日吉神社境内にあるかわった灯篭。
                    
                                              
                             


 

                                      
 日吉神社を二宮橋から出た先にある水の流れに小さな水車が。












                                          大杉茶屋で一服。
五平餅に味噌と小豆が乗ったもの。心地よい疲れにちょうど良い。実はソフトクリームを食べようか迷ったが、やはり日本人か!

2013年4月29日月曜日

2013年4月29日月曜日9時00分 晴れ

昨日は、妻の父の米寿のお祝い。お姉さんの家族と当方の家族が出席。
私はトトとお留守番。
ひ孫はおお姉さん側が2人、当方は3人。お母さんも元気で何より。
妻は日帰りでの強行軍!ご苦労様でした。

留守番の私は、午前中はトトと過ごし、午後自転車で坂本へ。さすが延暦寺の門前町。りっぱである。ゆっくり回ると、とても一日では回りきれない規模。
京阪坂本駅に自転車を置き、生源寺、滋賀院門跡、慈眼堂、日吉大社と大社内の八王子山を回った。大杉茶屋で休んで自転車で商店街をのんびりと通り帰宅。4時間の行程。


生源寺は伝教大師最澄の生誕の地。産湯の井戸もある。ここの織田信長が比叡山焼き討ちの際、古老が軍勢に気づき、この寺の釣鐘を連打し知らせた。あまりにも強く打ったのでヒビが入ったので破鐘(われがね)と言われている。


次に日吉神社の大鳥居をくぐり途中で右折し滋賀院へ。
延暦寺の僧侶はもともと生涯を山で過ごしたが、江戸時代になると高齢になると許しを得て里で住むようになった。この住まいを里坊という。もっとも多い時で90ヶ寺、現在は54ヶ寺あり、滋賀院もその一つ。住職は天皇家であったが江戸時代からは大僧正のお住まいとなり今に続いている由緒あるお寺とか。勅使門を有し壁には5本の線が入っている。
庭は小堀遠州作の庭園。また江戸時代の天海大僧正が後水尾上皇より滋賀院の号を賜ったので、天海大僧正の鎧等が置いてある。
外壁がまた良い。穴太衆の石積み。一見の価値がありいまでも美しい。
次に慈眼堂へ。天海大僧正を祀る廟所。きれいな場所で、桓武天皇、紫式部等の供養塔がある。

           
                                   
ようやく日吉大社に。神社で入山料を取られたのには若干ビックリしたが、維持するためには必要かなと後で納得。神の使いであるお猿さんが飼われたいたのにはびっくり。神猿はマサルと読み、魔が去るということで縁起の良いものとされている。御所にも飾られている。
八王子山の金大巌(こがねのおおいわ)に上る。急坂で標高381メートル。ゼイゼイいいながら登った。琵琶湖が一望でき素晴らしい景色。全行程ほとんど急なのぼりで、最後の急な階段には参った。前に歩いていた小学生が幼稚園の時皆で来たと言いていたのを聞いて負けてなるものかと思い、一気に登った。他の人も顎を挙げていたので、ある意味満足!!



さすが疲れて帰りは大杉茶屋で休憩。帰りは下り坂なのでゆっくり帰宅。充実したサイクリングであった

2013年4月28日日曜日

2013年4月28日日曜日8時4分 晴れ

昨日は、出町柳に12時に先輩のYさん夫婦と待ち合わせて昼食後散策。


昼食は、神楽岡通りを南下して、吉田山の竹中稲荷の東側にある個人の家。
主の女性が一人でポルトガル料理を出している。猫が4匹同居している2階の座敷で、左大文をみながら頂く。
名前は「丹田」(左京区吉田神楽岡町5-13 075-751-1222)
一人当たり2500円程度で前菜からデザートまであり、満足いく料理。会話も盛り上がった



















続いて、Y氏が行きたいところがあるということで一緒に行く。
まず、霊芝山大興禅寺。薬師如来、関帝像(足利尊氏を戦の時のもって行ったというもの)などを特別公開している。寺自体はどうってことないがさすが京都。所蔵している仏像は大変なもの。一見の価値十分にあり。
続いて、哲学の道を越えて、ノートルダム中高の北側にある安楽寺へ。
ここはJR東海の「京都に行こう」シリーズに出てくる紅葉が大変きれいなお寺。尚、寺の南側にある霊鑑寺はあまり公開されていないが時々公開される門跡寺院。
1207年、後鳥羽上皇により親鸞上人が越後に流されるきっかけとなった松虫鈴虫姫の出家したお寺。
その後、哲学の道を通り蹴上から帰宅。
Y夫婦のおかげで楽しい時間を過ごすことができた1日であった。

2013年4月27日土曜日

2013年4月26日金曜日8時48分 晴れ

昨日は午後自転車で散策。琵琶湖湖畔から膳所方面から旧東海道を通って帰宅。
途中にある和田神社、祝石坐神社などがある。

 琵琶湖畔の芝さくら。
 膳所の石坐(いわい)神社。
大津京へ遷都した天智天皇他を祭ってある由緒ある神社。





2013年4月27日土曜日9時22分 晴れ

昨日は、京都CSR研究会に友人の誘いで参加。参加者は、企業のCSR担当者、OB及び学生(同志社、立命館、京都文教大)学生を含め30人ほど。
運営は京都文教大学の島本教授を中心に同志社大の学生が担当。
運営には何も参加しなくてもよく、気軽に参加できるのが助かる。参加費は500円で場所も京都駅に隣接したビル。
今回は第107回、月一度の開催。相当継続している研究会。

テーマは企業とNPOとのパートナーシップということで、NPO法人のTFT(Table For Two International)の小林さんが運営実態を説明した。
飽食と飢餓。飢餓を救うための対策、社員食堂の一部のメニューに寄付金を上乗せして海外飢餓地域の学校給食に支援をしている。すでに550企業1500か所の拠点と契約。常勤2名で後はボランティアで運営しているとのこと。
数人での運営は相当大変。導入企業の相当の協力と学生組織の応援で何とか運営しているとのこと。
こうゆう研究会に参加すると刺激になり、且つ、こうゆう視点から今まで勤めていた会社での対応を振り返るのに大変役立つ。
次回以降もできるだけ参加していきたい。

2013年4月25日木曜日

2013年4月25日木曜日8時50分 晴れ

昨日は午後京都産業大学の市民講座を聞きに行った。
テーマは「どうする?日本の外交・安全保障」。同大学の法学部岩本誠吾教授の講演。

1.2012年の振り返り
2.2013年4月までの動向
3.日本の安全保障・外交の行方

〇尖閣諸島の国有化宣言
そもそも国有化という問題化といえば大げさすぎる話で、すでに国有化された島や米軍が射撃場として使用している島が存在する。その上でし国の所有でしかない。過剰報道が問題を大きくしためんもある。
本件は習総書記の考え方に基づくものらしきく、習総書記の10年は解決しない問題。
射撃管制レーダーや8隻の海洋船の侵入も日本側からの武力行使を待った罠との見方。要は日本側が先に武力行使をしたと世界に主張したいらしい。
中国の防衛ラインは日本とグアムを結ぶラインと東シナ海のラインを想定し、東シナ海の制海権は中国側がもち、この海域に米軍を入れず太平洋上での戦いを想定している。
政府や海上保安庁が根をあげ日本側の主張が弱まるのを待っている。
これからも嫌がらせはづっと続き、関係が良くなることは考えにくい。
〇竹島や従軍慰安婦
共通の歴史認識づくりを日本側が提案したが戦後については話さないとの韓国側の反応とか。
従軍慰安婦の問題につき天皇の訪韓に伴う謝罪と言っているが、この際天皇を日王といい蔑視の表現をしている。日本側を刺激している。
〇北方領土
司法裁判所に持ち込めれば多分日本側が勝つと思われるが、勝っても日本に引き渡すことはないと考えられる。プーチンは引き分けを想定しており2島返還で終わらせたい意向らしい。
4島返還を言い続ければ絶対に帰ってこない。後は政治または軍事力で取り戻すことになる。
〇台湾
尖閣諸島は台湾のものと馬総統は主張しているが、漁業権問題で解決したことでこの問題を台湾側から主張することはないとのこと。中国・韓国と共同歩調をとることはなくなった。

という趣旨の説明。
共通の歴史認識が作成されないかぎり、それぞれの国に都合の良い歴史認識での主張がこれからも継続されるのは避けられない。このために日本は何をすべきか。
遠慮はせずどんどん国際社会に主張すべきは主張していかないと、最終的に日本は譲歩せざるを得なくなってくる。
やはり日米同盟は最重要。昨年の民主党の対応のまずさが悔やまれる。
なお、普天間基地の移設にかかわる反対運動は地元はそれほどでもないという話もあるらしい。

帰りは、雨の中大宮通から西本願寺の西を通り、龍谷大学の構内を覗き、四条通りで、和菓子屋ふたば豆餅で大福を買い京都駅伊勢丹のデバ地下へ。
16時頃にもかかわらず結構な人。弁当を買い帰宅。

2013年4月24日水曜日

2013年4月24日水曜日9時17分 雨

23日のブログで書いた石山寺方面に行った時の写真です。
                                     

膳所神社の境内
 膳所神社にあった灯篭です。
下を注目。カメです。
地元の人が言っていた石山寺のもともとの神さんの祠です。
なかを覗くと手彫りで掘った跡がくっきりとあります。
京阪石山駅から石山寺方面へ30メートル程度のところにあります。
話をしながらいくと気が付きません。
2013年4月23日火曜日8時41分 晴れ

昨日は、自転車で15時半から散策。
20日の午後は近江神社へ行ったので、昨日は反対の石山寺方面へ。

自宅マンションを出て、旧東海道を東へ。
京阪膳所本町駅を過ぎて、膳所高校のところに膳所神社。
膳所神社の前のところのつくだ煮屋を覗き(相手にしてくれなかったが!)、その先を右折。
その先に名家「兼平餅」を打っている亀谷広房で兼平餅を買う。
兼平は粟津原の合戦に木曽義仲に殉じて壮烈な自刃を遂げた今井兼平のこと。
もともとこのあたりに三軒茶屋があり、料理屋、居酒屋と餅屋があった。その餅屋で兼平餅を販売していたが、明治初期の東海道線開業に伴い廃業。
兼平公800年記念事業として、京都の老舗亀谷広房(御池)から暖簾分けした人が兼平餅を復活させたもの。味は唸るような感じはないが、美味しい。
その後、篠津神社、御霊神社を過ぎ、名神高速と新幹線が通る場所に隣接して、住友グループの活機園(旅館)がある。さすが住友との印象。
京阪石山駅で休憩していたら、地元の方がここは初めてかと聞かれたので、大津はいいところですねといったら、いろいろ説明をしてくれた。
石山寺のそもそもの神はすぐそこにある手で掘った祠。今は誰も管理する人がいなくなったが、もともとはかなり参拝する方がいた。
駅を降りてまずこの祠を参拝してから石山寺に皆さん行っていたもんだ。今は自転車置き場になってしまったが、もともとは桜並木。素晴らしい景色だったのに、ある日市が勝手に木を伐り駐車場に!
怒り心頭であると不平不満を何回も言っていた。
また、石山高校の傍の幻住庵には瀬戸内寂聴が月に2度程来られて講和をするとか。
そのあとで石山寺に行ったがすでに閉門していた。

2013年4月22日月曜日

2013年4月22日月曜日10時14分 晴れ

16日に行った建仁寺。栄西禅師が開いた寺院。中国からお茶を持ち帰ったということで有名な寺。実は初めて訪れた。

 松原通りから北上して建仁寺へ入ったところを右折すると誰もいない静かな通りをまず散策。
地元の人は犬を散歩しているのに会った程度。
この道から更に右折し通りに出ると、左に八坂の塔。正面と右側には料亭。ちょっと手が出なそう。
 建仁寺の中は自由に散策可能だが庭園や法堂の雲龍図を見るには拝観料が必要。
中に入ると最初にあるのがこの屏風。
東京在住のダウン症の書家金澤翔子さんが奉納されたもので「風神雷神」屏風。勢いのある素晴らしい屏風。








建物内の庭園。どうゆう意味か?













法堂にある雲龍図。
今までに、妙心寺、東福寺、泉湧寺、知恩院を見たが構図はどこも面白い。
相国寺にもあるが法堂の窓からちらとみただけ。








建仁寺を祇園方面に行くと世伝永源院があり、そこには織田有楽齋の墓があった。

2013年4月18日木曜日

2013年4月18日木曜日13時30分 快晴

今日はビックリ!ソフトバンクの請求が2月が3万、3月が7万円。
理由は、スマートフォンで撮った孫の写真。
1回で2500円。妻と私で1枚で5000円。それを私のPCへ転送していたから7500円。
10枚はもらっていたので当然!!!

孫はかわいいがこれは悲惨!
即座に、今後はPCへ送ってもらうようにお願いをしたい。

2013年4月17日水曜日

2013年4月17日水曜日9時31分 晴れ

昨日は銀行時代の同期と3人で京都市中京区先斗町にある鳥料理屋「房」で夕食を共にした。
ビールや焼酎を飲みながら一人5000円は妥当か。

当日は午後から京都に出かけ、京都駅から四条まで散策することに。
まずは、京都駅から東本願寺へ行き、トイレへ。
中珠数屋町通りを通り渉成園を左折し、間之町通りを北上すると文子(アヤコ)天満宮へ。

 菅原道真公が博多で亡くなった際乳母の多治比(タジヒ)の文子がお庭に小さな祠をもうけて道真公の霊を祭ったのが当神社の始まり。その後、天神となった道真公のお告げで今の北野に祠を映したのが北野天満宮の創建となった。従ってここが天神信仰発祥の地。

わが祖先様と母の名が文子(フミコ)といい、何か縁がありそうなので、神主に話をしたら驚いていた。これも何かの縁。ここに来たのもあなたの縁とお話があり、いずれゆっくりと参られよと言われた。尚、大阪の道成寺は道真公のおばの家との話もあった。














文子天満宮を出て更に北上。六条通りを右折し、長講堂を左折し富小路通りへ。

長講堂の先のお寺が「蓮光寺」。長曽我部盛親の墓があった。さすが京都!



















その先には、阿茶の局が開山したという上徳寺があり、阿茶の局のお墓もある。さらには良い世継ぎができるという世継地蔵があり、「よつぎさん」として親しまれたお地蔵さんがある。また歯固め地蔵なる歯のお地蔵さんもあり、現在歯医者通いの私としては心からお参りした。




















次に五条通りに出て五条坂方面へ。ここには陶器屋が多く、目の保養になった。五条坂の半分ぐらい行ったところに、清水焼発祥の地としての若宮八幡宮がある。

五条橋東3丁目と4丁目の間の道を北上。開晴小・中の前を通り、六波羅蜜寺へ。
お参り後、松原通りに出たところの飴屋さんに立ち寄る。
聞く所によれば20代続く老舗。京都では二番目に古い飴屋「幽霊子育飴本舗みなとや」。京名物「幽霊 子育飴」を買う。この店から出てきた観光の老夫婦が「ここの飴が買えてよかった」というのを聞いて入った次第。有名らしい。確かに美味しい。



















更に北上して建仁寺へ。さすが大本山!立派だしお庭も良い。離れた塔頭のお寺には観光客の姿がなく、とてもよい通りになっている。

その後祇園界隈に行ったら、人、人!すぐ裏手に回り裏手をのんびりと散策。四条通りを越えて白川南通りへ。辰巳大明神で拝み、高島屋方面へ。
この白川南通り沿いのお座敷てんぷらの店「おおざわ」が気になり、店に入って尋ねたら5月6日までの営業とのこと。建物を京都市へ寄贈すると!できればそれまでに「おこしやす」と言われた。
建物の維持管理が大変なのか。できれば閉店までに行ってみたい店。

5時になったので、マックでマックタイム!高島屋で時間をつぶし、待ち合わせ場所へ。

2013年4月16日火曜日

2013年4月16日火曜日10時2分 晴れ

大津に引っ越しをして2か月が経ち疲れが出たのか、妻が発熱。2日に桂離宮に行った際、帰りのバスの中で変な咳をしている子供が後ろに座った。すぐマスクをしたもののそれが原因か?
今日は熱も下がり落ち着いているが、相変わらず咳は少しある。
私も、土曜日から運悪く急に歯痛!月曜日に歯科に行ったら、過去虫歯の治療をした箇所が再発しているとのこと。即座にかぶせてあるものをとり虫歯の治療開始。
歯磨きや半年に一度の検診を受けているもののかぶせてある治療済の歯はなかなかわからないらしい。寿命というものか?
歯医者が周りに多くどこへ行こうか迷ったが一番近い歯医者へ。
歯の治療に歯は極力抜かない治療を行うとのこと。また痛み止めの注射をする前に塗り薬で局部麻酔をしてから注射。初めての経験。
終了後、ペーパーで状況を詳しく説明し今後の治療方法の説明を受けた。
こんな歯医者は初めて。整形といい運が良いのか横浜が怠慢なのか!
今日は友人と京都で食事。楽しみだ。
 

 3月に近隣を散策したした際、旧東海道の逢坂付近で関蝉丸神社を訪れた。
境内にある説明文。
この神社(一番下の写真)は822年旅人を守る神を祀ったのに始まるとされている。
この神社は971年音曲芸能の神として信仰されるようになったとのこと。





 下の本殿の右側にある神社に提灯があったのでよく見ると、森進一と大原麗子が寄進した大提灯であった。
 



2013年4月13日土曜日

2013年4月13日土曜日9時7分 快晴でも寒い朝

朝の緊急地震メールの音にペットのトトも妻もびっくりして起きる。
面白いのは5時33分ごろの地震発生だが、大津では、緊急メールが33分に来てからすぐに地震が来た。少し離れているせいか、メールの方が早い。若干の差だが、なんの音だと緊張した時地震が来たので落ち着いて対応ができた。緊急メールは大いに意味があると感じた朝であった。

ちょうど2か月前の2月13日の0時に横浜を出発。朝7時過ぎに大津に到着。まる2か月が過ぎ3か月目に入る。
大津の生活にも慣れ、ここが自宅という意識が定着した。
この間の最大のヒットは腰痛の大幅改善か。
昨日のリハビリで1週間おきから次は2週間後と言われた。相当改善していると実感しているところの評価。本当に今までの整形外科はなんだったのかと思う。
安心して生活できることに感謝している。
10日に湯河原から5時間の運転。さすが疲れたが若干の腰痛はあったが翌日にはなし。リハビリの先生もその程度ですかとビックリしていた。
花粉の時期が収まればそろそろ活動の時期か。   
 


 琵琶湖川の疏水入口の桜。4月1日撮影。
現在は散ってはいないが葉桜になりつつある。

2013年4月9日火曜日

2013年4月9日火曜日16時57分 晴れ

今日の午前中、母の主治医より現状と今後についての相談があった。

昔からシューグレム症候群があり、そのためステロイドを常用しているが、歯茎の痛みは消えない。
この感覚を脳が完璧に覚えており少しよくなった程度では歯の痛みがよくなったとは認識しないという状況で、
食事や投薬を行うにも歯が痛いから痛いと拒絶している。このためやむを得ず経鼻でチュウブを挿入し、
栄養と投薬を行っている。
投薬の結果、本人が嫌というケースは収まりつつあるが、今後どうするかと非常に悩む。
認知症がもっと進めば嫌という感覚がなくなり、かえって投薬も進めややすくなるが、母の場合には当てはまらない。
今後の対応としては3つある。
1.経鼻のチューブを外し、拘束を解く。
2.このままの状態で継続する。
3.栄養を胃瘻で行う。

3は、ステロイドを長く続けているとたんぱく質を壊してしまい、手術をしたお腹がなかなか直らないので、難しい。
1は、本人は自由になりよいかもしれないが、足腰が弱っており、一人でベッドから降りるときに落ちる可能性がある。
ステロイドで骨が弱っているのですぐに骨折すると考えられ、骨折すると寝たきりになる。
2については、周りが痛々しいと感じるし本人も嫌がると思われるが、実はチューブを入れる際は嫌がるがその後はかなり穏やかであまり嫌がっていない。

との説明。
兄とも相談しこのままとすることにしたが、今の病院から介護型療養病院を探して出なくてはならない。
療養病棟はピンからキリまである。紹介するので良く考えてほしいとのことであった。

母にとっていったい何が良いのか、話はできるが我々のこともあまりわからなくなっているし、本当にどうすれば良いか。
今回は兄が方向性を示したが、苦渋の選択。といって批判もできないし何ができるのかもわからないが。

突き詰めると、私がこうなった時子供たちに事前にどう伝えておくか、真剣に考えざるを得ない。

2013年4月7日日曜日

2013年4月7日日曜日9時31分  晴れ風強し

昨日大津を朝5時に出て10時過ぎに湯河原に着いた。
高速道路の早朝割引があると思ったが土日はない。しかしETC割引で半額近い。大変ありがたい。
不思議なのは、大津インターから沼津インターまでのルートにより料金が違うこと。
新東名で新清水から東名に入るのと、新東名でそのまま行き沼津で降りるのでは料金が違う。
降りるところが一緒であればありがたいのに。

ところで、友人が埼玉の白岡から岩手の大船渡に引っ越す。
彼も深夜料金を使い深夜に往復している。私も2月に荷物を運びながら大津に向かったが、やはり深夜は辛い。
パーキングで寝るものの熟睡はできない。妻としりとりをしながら走ったり、飴をなめたり、ストレッチをしたりして睡魔と闘ったが、急に睡魔が起こる。彼も無理をせずに高速を利用してほしい。
昨日も3箇所で事故がおきていた。由比パーキングの先で今事故が起きたところを通過。休んでいなかったらひょっとして事故にあっていたかもしれない。いくら慎重に運転しても巻き込まれる恐れがある。
友人に無理をしないように再度注意を喚起したい。

2013年4月5日金曜日

2013年4月5日金曜日8時56分 晴れ

昨日は大阪へ行き、夕方から元の会社の後輩と食事をした。
大阪は10年振りか?駅が大きく変わり、阪急百貨店ができていた。
更に近々駅北が相当変わるとか?
すごい変貌である。経済的裏付けは何だろうかと考えると良くわからない。
日本経済の弱体化、大阪の地盤沈下等々言われる中でこの繁栄は一部だけなのか?
人も結構動いているが購入しているのかまでは見えなかった。
以前の会社の大阪支店長にあったが決して良い環境とは言ってなかった。
まあ元気に越したことはないので、これからも大阪が元気であり続けることを祈りたい。

それにしても大阪の21時頃は暖かったが、22時大津に着いたときはヒンヤリとして気持ちよかった。夏もこうだとありがたい。

2013年4月3日水曜日

2013年4月1日月曜日10時21分 晴れ

昨日の夜から天孫神社の夜桜のライトアップが始まった。夜8時過ぎに行ったが、なんと
素晴らしい夜桜か!!人は少ないし宴会はない。他を見なくても良い。でも見に行くが。





2013年4月3日水曜日8時54分 曇り

昨日は、3カ月前に抽選で承認された桂離宮へ行ってきた。40年ぶりの参観である。
昔近くに親戚が住んでいたことがあり、その思い出を頼りに時間前に散策。ほとんど覚えて
いないのが残念。当たり前か。当時はここからなんとか潜りこめそうという場所があったが!!
時間の20分前に入れるが、相当なチェック。本人確認までする。40年前はなかった。
時代は変わるのか!
10時になりスタート。その前にトイレ。
男性トイレは不満がないが、女性トイレには妻が不満タラタラ!
宮内庁が管理するならもっときれいに掃除しろ!!
参観スタート。
 桂離宮の通用門の入口方面。
写真の左側にある道を通って受付
へ。
1973年発行の桂離宮の案内本を見ても当時と変わらない。



 

御幸門で説明を受けた後いよいよ外腰掛に。
ここは、離宮に招待された人の控えの場所。
雪隠(昔のトイレ)があるが、ここで衣服の乱れを直したとか。実際に雪隠としては使われなかったとの説明。
その後ゆっくりと解説付きで約一時間のコースを回る。
今は桜がきれいだが、以前の聞いた説明によると、特に何もない冬に来ていほしいと。
花等が何もない構造美が見られると。

総勢20人程度。ドイツ人、フランス人、アメリカ人を含んでいる。ネットで申し込むと4組なのに不思議だ。
結構楽しんだ1時間。雨も降らず助かった。
帰りに雨!
松尾神社経由で帰る予定を変更して、バスで京都駅へ。
7月には仙洞御所と修学院離宮の見学の承認が取れた。
是非行きたい。