2023年1月8日日曜日

1月7日秦野市観光ボランティアと歩く 南はだの村七福神と鶴亀巡り

 2023年1月8日日曜日14:00 快晴

昨日は令和5年始めての秦野市観光ボランティア協会主催のウォーキング企画に参加。

南はだの村七福神と鶴亀めぐりに参加してご朱印を頂いた。

明治の中ごろに、平沢・今泉・尾尻・大竹の4村が併合し南秦野村が誕生。昭和15年に

町制となり、昭和30年に周りの町村と合併し今の秦野市になりました。

 

天気は雨か雪が降るかもとの予報であったが、結果一日快晴で暖かく最高のウォーキング

日和。

七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきたのです。

 

7:52 小田急線開成駅からみた富士山。

8:42 秦野駅を出発。

8:57 曹洞宗太岳院。福禄寿と亀

秦野市の重要指定文化財に指定されている平安後期作の木像十一面観音像が収蔵されていることで知られている、「太岳院」。かつては薬師堂だったものを、1541(天文10)年に当時の今泉村の土豪が蔵林寺三世を迎えて開いたお寺、と言われている。2006(平成18)年に建て直されたモダンな本堂は、安藤忠雄氏の設計によるもの。

隣りには地元の人たちから「太岳院池」と呼ばれている今泉湧水地があり、今泉名水桜公園として整備された。「太岳」は富士山を示しており、山号の「亀王山」の亀は「富士=不死」と通じるところから名づけられたという。

亀王山 太岳院

福禄寿は、名前は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、中国、道教の長寿神。南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、人々の信仰を集めたといわれる仙人である。長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢 千歳という。長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴である。招徳人望の神様として信仰されている。

 


福禄寿


9:03 今泉名水公園(今泉遊水池)太岳院に隣接した池で一日2500トンの湧推量

と秦野市随一を誇る。

アオサギ
9:26 尾尻八幡神社 親子鶴の親鶴

創立年代は不詳。往時は八幡宮と称え、源頼朝の頃には現位置の鶴疇山(つるとしやま)に祀られていました。 ご神体は馬乗の像で、鎌倉将軍の尊崇篤く、相模三鶴八幡の一つとされたと言われています。
境内には、南はだの村七福神と鶴亀めぐりの「親子鶴の親鶴」が設置されています。



旧尾尻村からの参道の鳥居。先に大山が見える。
はだの桜道方面(旧大竹村)への参道
はだの桜道からみた参道
9:44西大竹嶽神社 親子鶴の子鶴

元大竹村は、鶴疇山(つるとしやま)八幡宮の氏子でしたが、正保年間尾尻村より分村、桃山時代より尊崇していた御霊社を嶽神社と改名し、独立氏子となりました。


子鶴
御霊社

9:54 高取山と権現山方面
10:25 県立秦野総合高校のまえにある緑地
10:32 高校を過ぎた渋沢丘陵からみた富士山
鳶がなぜか大空を舞っていた。
大山
塔の岳方面
11:25 震生湖

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災でこの付近は幅約200mにわたって陥没し市木沢(いちぎさわ)がせき止められ、震生湖は誕生しました。 東側の絶壁は当時の崩壊した跡といわれています。



湖畔にある句碑は、東京帝国大学 地震研究所の寺田寅彦(てらだとらひこ)が、1930年(昭和5年)9月に震生湖に2度調査に訪れ、その際、詠んだ俳句3句のうちの1句です。
「山さけて 成しける池や 水すまし」
「大地震で山が割れ、川がせき止められて出来た湖に、今やその時の騒がしさが嘘のように水すましが、ひっそりと水面に浮かんでいる。」 この句碑は、1955年(昭和30年)9月1日に建立されました。



11:38 福寿弁才天 震生湖に隣接してある

福神の紅一点で、元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神が、仏教あるいは神道と混交したものと言われます。
元来、河神であり、河の流れる音からの連想で音楽神とされ、福徳神、学芸神など幅広い性格を持ちます。また、日本でも水辺、島、池など水に深い関係のある場所に多く祀られています。

この神社は日本三大弁財天の総本山である、奈良の天河弁財天の分霊を頂く神社です。
学問、技能、音楽の上達に功徳があり、また女性には愛嬌を授け、美人となり良縁を得、子宝が授かると言われます。




 

12:08 天台宗西光寺    

天文年間(1530)中興と言われています。明治以前は旧平沢村総鎮守御嶽、八坂神社別当を歴代務めました。
本尊は弥陀三尊(阿弥陀・観音・勢至)で、脇本尊として不動三尊像があります。
また境内には市指定保存樹木のイトヒバがあります。 

毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている。七福神では、融通招福の神として信仰されている。

 イトヒバの木

 
 当日は法要があるとかで境内には入らないでほしいとの寺側の以降で山門まで。
山門まえの六地蔵
山門の天井に龍の絵があった。
なぜこの由来があるかは不明

12:17 御嶽神社着

恵比寿は事代主の神のことで、七福神の中で唯一の日本古来の福の神です。「コトシロ」とは現代では「託宣」を意味します。
狩衣を纏い、釣り竿を右手、鯛を左脇に抱える姿が一般的で、漁業を司り大漁をもたらす神様、ひいては五穀豊穣・商売繁盛の神様として信仰されています。
日本書紀によれば、姫神は神武天皇の后となられました。

御嶽神社の創立年歴は不詳ですが建久三年(一一九二)の頃より神社前の参道を御嶽道と称し、平沢村の鎮守であった。境内には秦野市文化財指定木である樹齢八百年余りの大けやきが二本あります。
慶長十三年(一六〇八)踊宮鈴張の地に家康公が鷹狩りに来た際に、当社に参拝、社殿の改修を命じ、翌年に改修しました。
昭和五十一年に本殿を除き全社殿を木造銅板葺としましたが、本殿は慶長年間に改修された当時のものです。





恵比寿さん



御嶽神社に隣接して八坂神社がある

12:26 出雲大社相模分祠

大国主之大神は、出雲大社の御祭神で、古事記・日本書紀に登場するスーパースターの神様です。大国とは、大いなる国土を意味します。人間が生きるための生命体として生きている自然を作られた神様です。
五穀豊穣のの行の神様、また商売・財福の神様としても信仰され、縁結びの神様として殊に有名です。

 出雲大社の二つの説明

1.明治21年に現在の秦野市の渋沢、峠地区に建立され、昭和50年に現在地の秦野市平沢に遷座しました。祭神は大国主之大神、事代主之大神で、敷地内には「千年の杜の水」という湧水があります。
広い境内では四季折々の催しも行われ、賑わいを見せます

2.出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。 当初の御鎮座地は現社地から離れた渋沢峠でしたが、昭和50年(西暦1975年)に現社地に御遷座なさいました。
以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。 

 



湧き水


祖霊社

12:49 曹洞宗浄園寺 

布袋尊は、中国の唐末に実在した禅僧と言われます。一般的に描かれるような太鼓腹の姿で、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称になったようです。袋には日用品など一切合財が入っているとも、「堪忍袋」であるとも言われます。
肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄を司るものと考えられています。

本堂再建棟上は寛政12年(1800)、北条氏綱に仕えた和田兵庫の子、和田石見が大永年間に開いた寺です。この和田家は現在も存続しています。
本尊は室町時代後期頃の作と言われる薬師如来です。
 【みどころ】
本堂は前一間が吹放しで、その吹放し・礎磐・湾曲繋虹梁は黄檗様の影響があります。
また黄檗様の影響がある県内唯一の建築物です。
中央鏡天井には雲竜絵の見事な天井絵があります。




黄檗宗の影響を受けていると思われるのは、玄関の入り口、両サイドの窓。

下の写真の扁額の下のドアの模様

両サイドの窓の作り。

布袋尊

建物の左奥にこんな案内があった
13:07 途中にあった長屋門。分家の長屋門は人が住めるように改築されている。
そばにあった本家の長屋門。昔のままだそうだ。
13:13 白笹稲荷に向かう途中にあった祠は、朝一番で行った太岳院にある観世音菩薩は以前はここいあったとの証拠。

13:18 白笹稲荷神社

寿老人は、道教の神仙で、中国の伝説上の人物‐老子の化身とされます。また南極老人星(カノープス)の化身ともされます。
酒を好み、頭が長く、白髪姿で赤い顔をした長寿の神とされます。
不死の霊薬を含んでいる瓢箪、または不老長寿の桃を持ち、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えた姿で描かれることが多いです。

白笹稲荷神社は、江戸時代初期に創建された神社で、この地は昔から一貫田(目)湧水として有名なもので、今は「秦野水源地」となっている水の豊かな土地です。
五穀豊穣・家内安全・商売繁盛・厄除け等で知られ、関東三大稲荷として多くの参拝者に親しまれています。


何回も来ているが子守り母狐は気がつかなかった。

本殿

寿老人

梅が咲いていた
13:37 駅に向かう途中にあった碑

13:38 南小学校の側にあった地産の野菜果物を売る店。結構地元では有名な店。
13:54 荒井湧水地  カワセミが結構見られる公園で、以前見たことがある。


14:04 無事秦野駅に到着。一日快晴。満足な七福神巡りであった。


 

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