2014年1月19日日曜日

1月18日東山へ

2014年1月19日日曜日10時46分 雪、今は晴れ

昨日の天気予報の通り朝から雪。歩道も雪で覆われている。
年金関係の確定申告資料が整ったのでネットで作成、明日持ち込みの準備終了。

昨日は、午後二時から京都伝統文化の森推進協議会主催の公開シンポジウムに参加。
朝9時に大津を出て東山あたりを散策。
京都駅から、渉成園方面にいく。下珠数屋町通りを東に歩いているとこんな京料理屋「接方来」が。


 
 河原町通りに出て左折し、渉成園の壁沿いに北上。
 
 目的地の一つ市比賣神社の看板が。
京都十六社朱印めぐりの一つで、傍は何回も通っているが、今まできたことがなかった。
後は、岡崎神社、熊野若王子神社、西院春日神社と長岡天満宮。
 
 朝から女性やカップルが来ていたのには驚いた。



 
 奥に井戸があり、自由にペットボトルに入れて良いとのこと。今度は是非。
これで4ヶ所目(梨木神社、菅原院神社、清涼華院)。

河原町通りを横切り聖真子町に入ると茶筒の専門店が。今度是非行ってみたい店。

 
その先の住所表示。早尾町は地図にあるが六軒通りが見当たらないし、鴨川ではなく加茂川となっている。よくわからない。
 
 鍵屋町から鴨川にかかる正面橋を渡る手前にある店先にこんなものが置いてある。

正面橋を渡り、正面通りへ入るとまずは和菓子屋「甘春堂」。
下はその道の先にも同じ名前の店があった。
 
 
 豊国神社の前にある烏寺と有名耳塚。

 



今日は豊国神社でマーケット。
 





 
豊国神社の北側が方広寺。有名な梵鐘。

国家安康と君臣豊楽の字がわかる。



方広寺から国立博物館の前を通り京都女子大方面へ。
すると 鳥辺野の説明の案内板が。

 
そのまま坂を上がって行くと阿弥陀ヶ峰(196m)にある豊国廟へ行く。
 


秀吉の側室の一人で京極家から嫁いできた松の丸殿と秀吉の孫国松の供養塔(五輪塔)が寺町の請願寺から移されて建っている。


これから恐怖の489段の階段に挑戦!
地元の中学校の野球部が数往復していた。中には女の子が一人混じっており元気よく駆け上っていた。頑張れ!!と声をかけるが自分にかけていることに。


中間地点の平坦地。一休み。





頂上にある廟


 
 
階段を降りてきたがフラフラに! 



聞くところによると廟の敷地に裏千家の茶室が。

重い足を引きづりながら坂を降りて、新日吉(いまひえ)神社に立ち寄る。


 
護神猿が守護している。





本殿前にいる護神猿
 

 
 
新日吉神社を出て昼食。
食後大谷墓地の中を通って清水寺へ。
二王門の手前に善光寺堂がある。凄い人出だがなぜか誰も来ない。すぐ横なのに。
如意輪観世音がある。







人ごみを避けそのまま人がいない方へいくとお地蔵さんが一杯!すごい数に圧倒される。




清水坂を下り、今日の公開シンポジウムが行われる東山区役所へ。

第一部の講演
○社寺と国有林をめぐる歴史    講師林政学者 福田 淳(林野庁在籍)
○京都盆地のの災害地名      京都地名研究家 常任理事 綱本 逸雄

1.福田講演
・明治4年、社寺上知令により旧社寺領を国有地に編入。
・明治8年、第二次上知令で更に上地。
・明治32年、国有林野法成立、社寺保管林制度成立
・昭和20年、GHQにより優遇措置の社寺保管林制度の廃止
・昭和22年、国有林の無償譲与が可能に。
・東山国有林について
 もともとはアカマツ林、昭和初期からシイ林に推移、昭和9年の室戸台風で大被害、
 1960年代以降松枯れ被害でアカマツ更に衰退しシイ林が拡大
 平成13年の世界文化遺産貢献の森林に設定、アカマツ、シイ林との混交した森林も目標とする
 平成19年、京都伝統文化の森推進協議立ち上げ

2.綱本講演
・内容が豊富で話があっちこっちに飛ぶ。地名もよくわからないとことが多く、なかなか理解ができにくかった。資料をあとからみることに。
・昔からの地名がその土地の特性をよく表していることをもっと理解すべきと。
・東山の粟田口。アハは動詞アハク(暴、発など)の語幹で崩壊した場所、剥げたところという考えられ、そこから来ている地名と考えられる。
・白川、柳等の地名を細かく分析して説明。

講演が4時を過ぎ、天気も怪しくなったので、やむを得ずシンポジウムを退席し、帰宅。

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