マンションの修繕で、漸く網戸を戻すことができるようになった。少しずつだが進んでいる。
昨日の昼食は、月一回のびわ湖ランチ。これにコーヒーがついて500円。美味しいオムレツ。
食後コーヒーを飲みながらゆっくり読書。といきたいところだが隣に二人組のおばさんが座りペチャクチャ。参った。早々に退散し、午後からの講演会の会場へ。
午後からは滋賀県主催の文化財講座。第6回目で今回のテーマは「奇想・奇僧の画家たち~若冲・蕭白・月僊・金谷。スライドを見ながらの画家と絵の説明。
4人の簡単な説明は、
伊藤若冲
京都高倉錦小路の青物問屋の長男。金に糸目をつけず色彩豊かな絵画を描いた。晩年は、天明の大火で屋敷が消失、再建はならなかったとか。
55歳のときに両親と自分の戒名を記す位牌を相国寺に奉納して、相国寺との関係が深まる。
85歳で没。相国寺には四十九日の法要と位牌があるとか。どこの塔頭だろう?
蘇我蕭白
京都で生まれる。染谷の丹波屋だが、17歳で兄、父母の没で天涯孤独に。絵を描きながらの生活となり、主に炭で絵を描く。高額の注文があった時だけ高額の絵の具を使用。絵の具を使う喜びに溢れた絵が多いとか。
46歳のときの京都の絵画部門の有名人20人中15番目に名前が出てくる。
月僊(ゲッセン)
名古屋の味噌屋に生まれる。7歳で仏門にはいり浄土宗の僧となる。
34歳の時、伊勢の寂照寺の住職になり、荒廃した伽藍の再建に務める。
横井金谷(キンコク)
滋賀県草津市に生まれる。9歳で浄土宗の僧に。
金谷上人御一代記なる小説を書き、挿絵も描く。
与謝蕪村の絵を写した絵を当初描く。俳画を多く書く。
大津市坂本に居住し没。
帰宅後、増設メモリが送られてきて装着。成功!
倍のメモリで動きがスムーズに!
ボストン美術館展で観た蕭白の雲竜図はすごい迫力でしたね。ピカソに先駆けて正面、側面などの視点を組み合わせて一枚に仕上げた技巧は世界に誇れるものだと思います。
返信削除いつかまたボストンにでも行って、あの絵を観たいものです^^