2022年10月23日日曜日

10月22日南足柄市観光ボランティア企画ウォーキング 酒匂川自然散策と二宮尊徳ゆかりの地を訪ねて

 2022年10月23日日曜日10:20 快晴

昨日は南足柄市観光ボランティア協会主催のウォーキングに参加。

テーマは、「酒匂川自然散策と二宮尊徳ゆかりの地を訪ねて」 

9:30 小田急線開成駅に集合。参加者は13名とこじんまりとした会となった。

9:48 コースなど説明の後駅東口を出発。約7キロの平坦なコース。

10:15 武田信玄の霞堤。暴れ川の二級河川酒匂川の氾濫に備えて作られた堤に挟まれた調整池の機能(田んぼがあるところ)を持たせている。

左側の堤は木の先でで終わる。堤の左に本流がある。本流の水量が増加すると前方からこの田んぼの方に水を引き込み調整池の機能を持たせる。右側の堤が下流に続く。

因みに、川の右岸、左岸というのは上流から下流を見て右岸、左岸というとの説明があった。



尊徳堀とは、尊徳が地下の冷水による被害を防ぐために、冷水を取り除くために掘らせた排水溝をいう。

夫婦道祖神

10:54栢山(かやま)神社着

栢山日枝神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には村持ちの社として祀られ、西栢山地区で祀られているといいます。

元禄の頃まで栢山の三社氏子であったが、元禄時代に東西栢山が分村し漸次西栢山村の村民は山王社を尊崇するようになった。明治維新の時上地し、日枝神社と改称して西栢山の氏神としての尊敬篤く、当時足柄県より無格社に列せられ、三十余戸に過ぎなかった氏子も其の後急増し、昭和の初め立派な神明造りの社殿を新築した。(「神奈川県神社誌」より)

右側が拝殿、左側が本殿
 
 
春日灯篭
竿 (さお) が円形、笠・火袋 (ひぶくろ) 中台 (ちゅうだい) ・地輪 (じりん) が六角平面で、背の高い標準的な石灯籠。春日大社に多く用いられているところからいう。木製または青銅製のつり灯籠。春日大社の回廊や社殿に使われている形。  反りが平らなほど古い。
 

本殿の横にあった板碑

富士山のそばなのになぜか浅間山とある。なぜだろう?


11:04 尊徳総本家屋敷跡 とあるがこの辺りにあったらしい。尊徳一家は分家の分家。中農と豊であったが父の代に没落、両親とも早くに亡くなり3兄弟が別の親戚に引き取られた。そこから尊徳は奮闘した。


11:08 善栄寺 

小田原市栢山の善栄寺は、1215年(建保3年)、巴御前木曽義仲和田義盛の菩提を弔うために創建したと伝えられる。

 開山は善法真栄。

 創建当初は律宗の寺だったが、1336年(延元3年)、鎌倉円覚寺の東明恵日が足柄の地に隠棲したときに再建され臨済宗となり、1554年(天文23年)には、小田原北条氏三代氏康の夫人瑞渓院が帰依し、再興して曹洞宗に改められた。

 本堂前には、巴御前木曽義仲の五輪塔が、墓地には、北条氏康夫人の墓と栢山で生まれた江戸時代の農政家二宮尊徳とその一族の墓がある。 


義仲と巴御前の五輪塔(前に墓とあるが間違えだと思われる。義仲の墓は大津市義中寺にある)

1184年(寿永3年)1月20日、木曽義仲は近江国粟津で討死するが、巴御前は落ちのびた後、鎌倉の源頼朝に召され、和田義盛の妻となって、朝比奈三郎義秀を産んだというが定かではない。







氏康夫人の宝篋印塔は市の指定文化財。


内部に五輪塔がある

11:34 尊徳記念館


ガイドが持っていた資料の一部で仏教関係の資料を写真に。







13:52 捨苗栽培地跡

捨苗栽培地跡は尊徳翁が少年の頃、酒匂川の大洪水で使えなくなった用水路の周辺をならし、捨てられていた苗を拾い集めて栽培した場所で、秋になって一俵ものお米を収穫できたことから、小さな事でも精を出して勤めていけば、どんな事でも必ず成し遂げることができる「積小為大(せきしょういだい)」を学んだ場所として、古くから親しまれています。

 

このあたりらしい。富士山がよく見える

14:06 二宮金次郎は、友人から借りた 菜種を仙了川の土手に蒔いた。翌春、収穫があり、沢山の菜種が取れ150倍もなった。それを、灯油に交換して、夜間の勉学に使ったという。



小田急線栢山駅に向かって仙了川沿いにいく。途中に酔芙蓉(すいふよう)が咲いていた。


14:43 栢山駅付近で解散後開成駅方面に歩いて帰る。

15:01 自宅付近で富士山を見る。一日散策日和であった。


 

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