2017年9月16日土曜日

9月15日長岡京散策 午後の部

2017年9月16日土曜日9時12分 雨

続き

午後はまず神尾石仏群へ
 
六体の地蔵菩薩像。六地蔵。



少しづつ表情が違いのが面白い。


十王像のうち5体がある。中央の大きいのが閻魔大王。





閻魔大王




六地蔵

西国街道に戻る

こんな昔の駅名の看板があった。

ふれあい町屋でソフトクリームを食べる。250円で量もたっぷりだ。
豆腐も売っており美味しいよといっていた。



ふれあい町屋は文化財。

西国街道を大阪方面に行くと愛宕の碑が

最後に向かう神足神社の碑があった。




赤穂浪士に関係する与兵衛の墓があるという。
観光センターの人は胡散臭いといっていたが。



立命館高校のまえにある碑



この地方で最大の史蹟へ
「いげのやま」とは読めないな。

JRの歩道橋からみた古墳。後円墳部分は勝龍寺の墓地になっている。

駅方面。たまたま電車は来ない。

埴輪が出土しているので埴輪で飾ってある

明智側の本陣を置いたというのが今の通説らしい。



天王山

男山方面









































中山修一記念館へ向かう
来た道は恵解山通り。
 
 
向かうのはサントリー通り



記念館に到着

ここで一時間程度雑談しながら説明員と話をした。
中山はもともとこのあたりの人。
たまたま前日に読んだ本に長岡京の一坊十町に桓武天皇が蓮池を作ることを命じたとあったのを覚えており、翌日たまたま阪急向日駅からの帰る途中にじめじめした土地を歩いていたらここが蓮池の跡ではないかと気がついた。
その後地元の農家の人にこの地の田んぼを耕してもらったら田んぼの大きさが違いのを発見した。要は条理制(109メートル)と条坊制(120メートル)の違いによる区画の大きさの違いだ想定した。この田んぼが記念碑のある場所らしい。
この蓮池を長岡京の一坊十町と特定して平安京の地割を置いたらぴったり一致したのでここだと思って、発掘調査を始めたら長堂院中門跡を発見したのが昭和29年。
幻の長岡京が本当に存在したことが判明!

暴れ川の犬川

犬川と小畑川が合流する場所。ここに勝龍寺城が気づかれた。
 


まずは勝龍寺へ

























勝龍寺城
もともとは足利尊氏が北朝側としてこの地に城をと細川氏に命令して細川氏が作った城。
作るに当たり小畑川の流れを城の東側に作り防御体制を引いた。
 














 
 











近くの観音寺






観音寺の前の旧家

最後の神足神社


土塁跡がある

















 JR長岡京駅へ向かう

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