続き
竹生島から彦根港に戻り、彦根市内を散策。
まずは北野寺。滋賀大経済学部そばの馬場町。
もともとは彦根山は観音霊場。彦根城が作るために市内三カ所へ移されたうちの一つ。
彦根西中学校(もともとは今の京都の平安中学がここにあった)を過ぎてお堀沿いに行くと、市内で唯一残るヴォーリスの設計の建物(現市民センター)。
ここからお米を搬入したとか
石の使用量を減らす工夫。今の皇居と同じ作り。
贋木(贋が羽を広げた姿に似ているとか)
夢京橋キャッスルロードを西へ。途中の道を右折するとあるのが昔の宿で、ここに泊まって訴えの等の訴状を書いたとか。
旧佐和山城の門を移築
本堂
家康、三成も仲良く!
朝鮮通信使の宿。ここで多額の費用を使って接待をした。
足軽屋敷が酋長する芹橋地区。
長屋ではなく一戸建て。整然と区画が並ぶ。但し道は細い。
土日は無料公開
旧辻番所
夜逃げを防ぐために、ここで交代で見張ったとか
番所のこの窓から外を見ていた。
見張り窓を外からみたところ
この戸から番所に出入り。
芹川
西に向かって第一の防御とするために川の流れを変えた。
もとの川は彦根城方面に向かって流れていたため、城周辺は湿地帯が多かったそうだ。
芹川の土手に埋められた木々。
土手を守るために高く伸びないように常に枝切りをしたためこんな姿に。
途中朝鮮通信使が通った道を横断
この道が通信使が通った道。
昔は鎧等の武器を製造していた人が集まっていた場所。
平和な時代になり仏壇屋へ変貌した。
仏壇の「壇」は、昔は土へん、今は木へんを使うとか。
従って壇を使う店は老舗らしい。
このあと袋町の遊郭地区を通り花しょうぶ通りを抜けて彦根駅へ向かい解散。
袋町にはもともと織物屋で働く女性が多く住んでいたことから遊郭に発展したと。
その女性達が目立たぬように日常品を買うためにできたのが花しょうぶ通り。
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