昨日は、東近江市観光協会主催の[繖山と湖国の大パノラマを歩く]というイベントに参加。
20名の予定が30名以上の参加。最近は予定人数を越えることが多いらしい。
県の教育委員会文化財保護課の方の説明つき。
9時半JR安土駅に集合。すでに相当集まっている。40分に出発。
安土駅前の信長公の像と駅
駅前には自転車のレンタルサイクル店2店、竜王そばの店1店、和菓子屋。他は?
後ろに見える山が繖山。標高433メートル。
ルートは、桑実寺から入山し、佐々木氏の観音寺城跡(伝本丸、
伝平井丸、伝池田丸)などを見て観音寺でランチ。昼食後三角点へ行き能登川方面へ降りる。
駅そばの旧家
駅前にあるコース案内
さあ、出発だ。
写真はないが、朝鮮人街道を通って繖山へ向かう。
朝鮮人街道とは、もともと信長が安土城完成後安土城を見せるために中山道とは別に琵琶湖側に新たな道を整備したことに始まる。
家康は中山道ではなくこの道を通って上洛。
参勤交代には使わせず、あくまでも将軍家の上洛と朝鮮通信史のみ使用。
従って、将軍家が宿泊する伊庭御殿はあるが、旅籠はないらしい。
もうすぐ桑実寺の参道だ。
これから急な登りが続く
まずは山門まで
まずは山門まで
山門
ここまでも、参加者ぜいぜい!
ここまでも、参加者ぜいぜい!
この階段の登りが直登で続く!初めからしんどい!
桑実寺は677年、天智天皇の勅願で創建。薬師如来を本尊とする天台宗の寺院。
開山の定恵和尚は藤原鎌足の長男で桑の木を持ち帰り養蚕を教えたとされる。
将軍足利義春は、戦乱をさけて都を脱出、佐々木氏を頼って近江を転々とし、1532年前後の数年間桑実寺で過ごした。義晴はここで婚儀を行った。
また、最後の足利将軍の義昭も着陣した。
桑実寺山門からの眺め
説明の県の方は山道に慣れているので早いこと!!
境内に到着
本堂
この道を通って観音寺城址へ向かう
なぜかカマキリがいた。
尾張の人伊藤景清は、平家再興を願いこの道で尾張・都間を往復したとか。
地元グループが整備し始めたとかで歩くことができるらしい。
古い神社だが荒れている
太子堂
いざ、出発!
途中こんな石積みが多くある。山城跡か観音寺の塔頭跡かはわからないそうだが。
本丸そばの石積みと井戸
井戸跡とあるが今でも水は湧いている
こんな高いところに水が湧くとは!
さすが観音寺城だ
観音寺城は一番高いところではない場所にある。
本城跡
本城跡の石積み
本城跡から少し下ったところにある平井丸
平井丸の入り口の石積み
墓もある
何のために石を積んであるのかわからないそうだ。他にもある。
平井丸の一番奥。ここは庭園があったのが発掘でわかっている。客をもてなしたところかとの説明
庭園跡
入り口の階段のところにある石仏
入り口の階段下に広がる石積み
階段
更に少し下がると落合氏屋敷跡が
今度は池田氏屋敷跡
かなり広い
わかるかな?石の間から木が伸びている
平井丸まで戻り今度は観音寺へ
溝跡か
午後にこの急坂を登り最高地点へ
漸く観音寺へ
この石積みは途中の段差がある手前と後ろでは時代がかなり違うそうだ。
観音寺に到着
平成5年の火事で焼失。人魚のミイラも焼失。残念見たかった!
本堂横
源平地と書かれているが?
下を新幹線が通る
本堂内部
大きな千手観音立像があるが、平成5年に本堂と共に焼失したため再度作られたもの。
本堂横にある水かけ観音
入り口近くにある立像
これが参道の階段
続く
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