2022年1月8日土曜日8:35 快晴
昨日は、秦野市観光ボランティア協会主催のウォーキングに参加。
テーマは南はだの村七福神と鶴亀めぐり。
前日が大雪で坂や日陰は大変滑りやすいということで、震生湖畔の福寿弁財天はカット。
残念だが止むを得ない。
8:54 小田急線秦野駅スタート。まだまだ前日の雪が残っている。
道教の道士または道教の神である南極星の化身の老子である寿老人の別名または同一神とされる。道教の三徳の思想、福(子孫繁栄)、禄(財産)、寿(長寿)が日本に入ってきて神格化したもの。
福禄寿
太岳院にある木造十一面観音菩薩像
太岳院に隣接する今泉名水桜公園
9:55 尾尻八幡神社着
アオサギか? 悠然とかまえげいる。
創立年代は不詳であるが、往時八幡宮と称え源頼朝の頃、延久年間に現位地鶴疇山(つるとしやま)に祭祀されていて、尾尻、大竹、砂口三村の鎮守であった。
御神体は馬乗の像で本地三尊弥陀は鉄鏡に鋳出。傍らに建保三年九月十六日と日銘がある。
鎌倉将軍の尊崇篤く、相模三鶴八幡の一つとされ政子安産の祈願所とされたと云う。
元大竹村は鶴疇山(つるとしやま)八幡宮の氏子であったが、正保年間、尾尻村より分村し、桃山時代より尊崇していた御霊社は漸次神威をたかめ、享保初期ね村高も分かれたが神社は二重氏子として村民は両社を崇敬していた。
明治四年四月、産土への名簿納めが戸籍の責を持つに至り、同年七月四日、御霊社を嶽神社と正式に改名し、八幡神社と両者に名簿納めしたことから足柄県庁に出訴繋争中、神主草山兵庫の依頼により近隣四名主の仲裁となり示談成立した。
創建の年代については詳らかでありませんが、この地先住の古代水田農耕民族は、その水田耕作に不可欠の水源に、また人間の生存の礎となる衣食住の源としての「水源(みなもと)」に、清らかに神奈備を覚出しました。 「宇迦之御霊」と仰ぐ稲魂・穀霊を祀り、「保食神」、「生産の神」として信仰し、現・白笹稲荷神社の前身としての白篠稲荷の小祠を祭祀してきました。
秦野は古代大和豪族・秦氏にゆかりの地であるといい、『風土記』によれば、稲荷信仰を広めたのも秦氏で、秦公(はたのきみ)が山城国に「伊奈利(伊奈里)」を」祭祀したことに始まるといわれています。
天保12年(1841)に成立した『新編相模風土記』には、「稲荷社 白笹稲荷と号す。祭神蒼稲魂命。例祭二月初午の日。及六月二十八日なり。拝殿あり。老松 園一丈。一株を神木となす。末社 明王権現 子安明神」と記されています。
江戸時代初頭の頃の奉納物が残存しており、すでに民衆の信仰の篤かったことがうかがわれ、江戸時代中期には正一位の神璽を再祀し、屋敷神として早くも独立し、神社独自の定例の社頭訓話などのあったことも知られています。時代が下っては献詠歌などが定期的におこなわれ、文芸活動なども活発だったことがしのばれ、崇敬者の信仰により支えられて現代に及んでいます。
秦野は古代大和豪族・秦氏にゆかりの地であるといい、『風土記』によれば、稲荷信仰を広めたのも秦氏で、秦公(はたのきみ)が山城国に「伊奈利(伊奈里)」を」祭祀したことに始まるといわれています。
天保12年(1841)に成立した『新編相模風土記』には、「稲荷社 白笹稲荷と号す。祭神蒼稲魂命。例祭二月初午の日。及六月二十八日なり。拝殿あり。老松 園一丈。一株を神木となす。末社 明王権現 子安明神」と記されています。
江戸時代初頭の頃の奉納物が残存しており、すでに民衆の信仰の篤かったことがうかがわれ、江戸時代中期には正一位の神璽を再祀し、屋敷神として早くも独立し、神社独自の定例の社頭訓話などのあったことも知られています。時代が下っては献詠歌などが定期的におこなわれ、文芸活動なども活発だったことがしのばれ、崇敬者の信仰により支えられて現代に及んでいます。
「南はだの村七福神めぐり」の『寿老人』が祀られています。 長寿・財宝・名誉・病気平癒を授け、人々の安泰と健康を守護する神様です。
道教の神仙で、中国の伝説上の人物ー老子の化身とされている。また南極老人星の化身とも言われる。酒を好み、頭が長く白髪姿で赤い顔をした長寿の神。
日本の歌舞伎絵の第一人者である後藤芳世画伯(院展特待)が、七年の歳月をかけて描き上げた天井絵です。 格天井150枚の龍神様、風水四神や宝尽くしの図は神々しい赤誠の作です。
なかなかの圧巻だ!
青龍
玄武
白虎
11:38 駒形宮。南公民館へ行く途中にあった。
11:51 南公民館でランチ。中華風で肉系が中心。
風水四神獣とは、青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく)・玄武(げんぶ)というの神々のことです。古代中国の空想上の動物で、季節や四方に輝く星宿(せいしゅく/簡単にいうと星座のこと)・それぞれの方角に当てはめられました。風水では風水四神獣の居所になぞらえ、各方角に地理的条件(下記参照)がそろった理想の場所のことを「四神相応(ししんそうおう/しじんそうおう)」の地と呼んでいます。四神相応の地は繁栄すると考えられているのです。
【東】青龍→河川 【西】白虎→街道 【南】朱雀→池泉 【北】玄武→山岳
朱雀
北條氏綱に仕えた和田兵庫の子、和田石見が大永年間に開いた寺。和田家は今も存続している。黄檗様の影響を受けている県内唯一の寺。
出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。
当初の御鎮座地は現社地から離れた渋沢峠でしたが、昭和50年(西暦1975年)に現社地に御遷座なさいました。
以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。
以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。
出雲地方に古来より伝わる龍蛇神様を千年の杜の守り神としてお祀りする。
古くより、出雲の地では旧暦10月10日に全国の神々が参集し、縁結びの会議がなされるといわれる。
10月を神無月と呼ぶ所以でもあり、出雲地方では神在月(かみありつき)・お忌みさん(おいみさん)とも称し特別な信仰がある。神々が集う出雲の地に全国の神々をご案内・先導する神様が龍蛇神様である。縁結び・金運の御利益があるとされる。
社からみた小道
出雲大社に隣接して御岳神社がある。
立派な扁額。ここまではそんなに無いのでは。
恵比寿は事主の神のことで、七福神の中で唯一日本古来の福の神。
ケヤキの大樹。
御嶽神社の横に八坂神社がある。
13:32 天台宗井光山西光寺。
古くより、出雲の地では旧暦10月10日に全国の神々が参集し、縁結びの会議がなされるといわれる。
10月を神無月と呼ぶ所以でもあり、出雲地方では神在月(かみありつき)・お忌みさん(おいみさん)とも称し特別な信仰がある。神々が集う出雲の地に全国の神々をご案内・先導する神様が龍蛇神様である。縁結び・金運の御利益があるとされる。
仏教の護法神であり、すべてのことを一切聞き漏らさない知恵者という意味。多聞天とも称する。七福神の中では戦い・勝ち運の神様。
因みに、「天」がつくとインドの神様。で日本古来の神「恵比寿」以外は中国の神。
鐘楼
市指定保存樹木イトヒバの木。
山門の天井にある龍。なかなか気がつかない!
ロウバイ
ミツマタ
はだの桜道にあった和菓子屋「菊鞠」で購入した「むすび大福と草餅」
13:52 長屋門
秦野駅に向かう途中に二箇所あった。
長屋門とは、門の扉口の両側に部屋が連なる形式の門。江戸時代、城下町の武家屋敷の門として始まったもので、あたかも長屋の中ほどに門があるようにみえるところからこの名があり、各部屋には家臣たちが分宿した。武家屋敷の門としては薬医(やくい)門・屏中(へいちゅう)門なども用いられたが、長屋門は門の両わきに突出する番所(ばんしょ)を設けるのが特徴で、大名や旗本の家格によってその形や構造が定められていた。
もう一つの長屋門
14:11 小藤川湧水地
左のほうから湧いている。
14:24 今泉あらい湧水公園
みつまた
荒井
この湧水公園にはめずらしいカワセミが飛んでくる。右下の飛んでいるのがカワセミ。
全然逃げない。なぜ??
残雪の影響で行けなかった福寿弁財天。次の機会に行ってみたい。
今年の初投稿は写真いっぱいだけでなく、充実した解説も入っていて、おかげさまで満腹になりました!(笑)
返信削除今年も健脚・健康で、あちこち踏破してください!!
.....それにしてもほんとうに健脚ですね^^(すごい、すごい)