2020年9月7日月曜日 雨
9月5日土曜日は、南足柄市観光ボランティアガイドの会主催の企画ガイドの会に参加した。まだまだ暑い中での開催なので参加者は7名。ガイドは4人も同伴して頂ける会となった。
コースは「街道歩きシリーズ 甲州道2 飯田岡から関本へ」約8㌔の行程だ。
このシリーズは甲州道(小田原から甲府へと通じる街道)を歩く会で2回目とか。
甲州道は小田原から大雄山の近くで矢倉沢往還(東海道の裏街道)に繋がり足柄峠を越えて沼津方面へと向かう道だ。
10時に伊豆箱根鉄道大雄山線(小田原と大雄山駅を結ぶ路線)飯田岡駅に集合。
大雄山線飯田岡駅(小田原市内で小田原駅から5番目)
駅にあった案内図
地域の路線だけあって意外と乗り降りが多い。
電車の間隔も12分に1本程度ある。但し単線だ。
地図の左側が相模湾と小田原市内。真ん中辺りに小田原厚木道路。
右側が足柄郡というイメージだ。
10時過ぎにいざ出発。駅のそばにある碑。
飯田岡丸花講碑。木華開耶姫尊(コノハナノサクヤビメ)と彫られている。
以下3碑が並んでいる。
この辺りには夫婦の地蔵が多い。
コース途中の道祖神
コース外のお寺だが寺がカフェをしている。
甲州道だけあって碑が多い。多分いろんな要因でここに集められているのだろう。
八乙女(やおとめ)神社
もともとは西念寺だったのが明治の神仏分離で独立。
ガイド曰く昔はこの池でよく泳いで遊んだと。向こう側は土塁になっているらしい。
本殿
矢留(やとめ)が独立で八乙女(やおとめ)に変わったとの説明。
隣にある西念寺(1375年開創の浄土宗知恩院の直末)
家康に少年時代から仕えた天野康景公の墓がり、また上杉謙信の守り本尊「聖観世音菩薩像」がある。
門
天野康景の墓
横にあるのが昔の天野康景の墓
目面しいという板状の碑
吉祥天らしい彫り物
吉祥天の上に書かれた字はその左側には東郷平八郎の書とある
奥にある石庭
本堂へ渡る橋
新しいものだが珍しい。もともとは湧水であったが枯れたため今は水道水とのこと。
文様
門の下にある
西念寺を出て途中にある碑(冨志とある?)
岩原八幡神社
階段をあがると八幡神社がある
源頼義の建立とか
もともとは円墳があったのをいつの時代かは不明だが一部を取り崩したと。
石があるところには玄宮があったらしい。
円墳の頂部分
左側には岩原城が作られたがそのときも円墳が削られ堀としたらしい。
もともと古墳が20基ほどあったらしいが今はこれだけしかないそうだ。
途中にあった碑。浅間ではなく「仙元」大菩薩とある
隣にある碑は?
昼食のため日影公民館へ向かう。
もともとは阿弥陀堂であったが今は公民館に。
そこに保存されている阿弥陀如来像と五智如来像がある。
阿弥陀如来像(平安時代)
五智如来像
公民館の前にある満蔵院
途中にある碑
すぐ先にも
八坂神社。天然痘が流行ったときにこの地域だけが感染しなかったので京都の八坂神社から勧請したとか。この鳥居は時代が分かる同市最古のものとか。
この付近の草は馬を育てるのに適していることから生駒ともいわれていた。
足形社
頼朝公の愛馬スルスミの蹄跡とか
蹄でできた穴とか
墨八寸生村とあるのが昔の村の名。それが現在生駒に変わっている。
途中の碑
曽我兄弟の五郎の投石。昔相撲が盛んであった印。
若宮神社
福田寺
道標 右側の道が矢倉沢往還(大山方面)
左が
道標の右が矢倉沢往還で左側が矢倉沢往還に甲州道が合流している。
門
この地域に七福寺巡りがあるとは
急に雷が鳴り始めたので、解散場所の大雄山駅の手前で離脱して帰ることに。残念!
左冨士と書いてある
矢倉沢往還を通って開成駅に向かう。途中の碑。
この後雨が降り出してきたので急いで帰宅。暑かったが南足柄市の歴史に触れ充実した時間だった。次の企画も参加だ!
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