2016年3月11日金曜日17時55分 晴れ
伊豆高原より戻り一週間。やるべきことを大体済ませた。
しかしながら、この間花粉症で時々眼と鼻をやられイラつくこともある日々だ。
話は変わるが、ちょうど5年前の今日はあの地震の日だ。
当日は会社で仕事をしていたら、父が入院をしている病院から危篤という連絡があり即座に会社を早退。妻にも連絡して家で落ち合うことに。
家で洋服を着替え出かけようと車に乗った瞬間なにか強風が吹いた感じで周りが揺れた。
バックミラーを見たら妻がペットのととを抱いて玄関から飛び出してきた。
妻から地震よと聞いてびっくり。
とりあえず収まったので、車のなかでテレビを見たら津波が来るところを実況で放映。
海から強烈な波が押し寄せてくる映像や車が流されていく映像に唖然!
電気も止まり道路の信号が動いてないと思いながらとにかく病院へ。ところが信号が消えているのでやむを得ず病院へ行くことを諦めた。
しかし電話が不通、携帯も不通で、会社にも病院にも連絡がつかず。
駅まで行って公衆電話に並び漸く会社と病院に連絡がついた。
父は自力で一時的に回復。会社の社員も全員無事でとりあえずは安堵。
翌日、会社に出たら私の机の後ろの棚から全部の資料が地震の揺れで飛び出していた。もし私がそこに座っていたら全部頭に直撃だった。
地震の影響もなく事故もなかったのは、父に守られていると心から思った。
ところが、次女の旦那の実家は石巻市で農業をしているが被災した。
ご家族は一体どうしているかと思ったが連絡が着かない!あせる子供達!
行くに行けずに心配をしていたら4日後に連絡があり、とにかく命には問題なしとのこと。
家は一階が水で浸かり、自衛隊に助けてもらうまで二階に避難していたとか。
農地は全滅、自家用車はどこに行ったか分からない。もし自動車で避難していたら命は分からなかったようだ。貸家もあるが全滅。
とにかく、石巻へ行くというので洋服や靴など友人からの寄付も含めまとめて送った。
子供達を含めとにかく無事でいたことに安堵した数日だったことを改めて思い出した。
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