2023年2月23日木曜日9:07 曇り
昨日は、秦野市観光ボランティアと歩くに参加。 テーマは矢倉沢往還を歩くその1「善波峠を越えて」。一日快晴で気持ちのよいウォーキングになった。
7:54 小田急線開成駅のホームからみた冨士山。
今日のコース8:37 小田急線秦野駅北口から出発だ。まずは水無川を北上8:53 上宿観音堂安産と子育ての仏として知られる相模新西国三十一番の霊場(れいじょう)である。本堂には、行基(ぎょうき)作と伝えられる千手観音菩薩像が安置されている。千手観音とは、千の手を持ち、そのすべての掌(てのひら)に眼を持って人々の苦しみを救ってくれる観音である。8月9日の縁日は「四万八千日(しまはっせん)」と呼ばれ、この日に参拝すれば4万8千日分の御利益(ごりやく)があるといわれ、多くの人が訪れる。関東大震災後の火災も、ここで鎮火(ちんか)したという。
摂社秋葉神社
9:14 左側の道が大山道、右が矢倉沢往還。分れ道に道標の庚申塚がある。
右側の矢倉沢往還へ
9:27 途中にあった馬頭観音の末広石仏群。9:37 開新小学校跡地にある地蔵堂、別名縁切地蔵と言われる。
9:41 常夜灯。灯は使用時石の後ろにある穴に柱を立てて点火するとのこと。9:46 天社神とかかれた石塔
地味ながら秦野にしかない風俗として、神社の境内や鳥居の傍らなどに見られる、「天社神」という文字が彫られた石塔がある。
勿論、もともと神社の境内にあったというわけではないだろう。道祖神などと同じように、元は境界に類する所に立てられていただろう。大抵そういった石塔は、神社の中とか寺の中とかに移設されて、元の場所が分からなくなってしまっている。
9:50 御嶽神社御嶽神社 (みたけじんじゃ) 御祭神は倭建之命 ( やまとたけるのみこと )
4月29日 例大祭(れいたいさい) 御嶽神社由緒 創立年代は不詳だが、往時御嶽社、第六天社、蔵王社を鎮守としていた。
当時草山の地に安政六年まで周囲十尺の老松があって、この大樹は旧矢倉沢往環に沿い、旅人は皆これを目標として通り、今は枯死して無く、一本松と称した。 古伝に倭建之命東征の時大樹の下に腰を据え、大山丹沢富士を一望されたことにより御嶽社を建立されたと伝えられる。 当村名主井上支一郎子孫宅古文書によれば、現境内地に七百年を越える老杉八本ありとある。この老杉は、昭和八年、台風により倒木。八百年以上の古木であった。 明治6年、御嶽社、第六天社、蔵王社を合祀し上地し、御嶽神社と改称。村内小社を境内社として名古木(慶長年代までナコノキと言いその後村名をナガヌキと称している。)に鎮座。大正四年、神饌幣帛料供進村社に指定された。
9:55 御嶽神社のそばにある双体道祖神
盃を酌み交わす姿が珍しい道祖神
10:00 途中にあった道祖神群
10:03 道祖神と冨士山
10:08 説明は無かったが尼寺と言う人もいた。
箱根の山と明神ヶ岳、金時山
10:12 弘法山方面へ
道祖神
10:13 途中にあった乗馬クラブ
弘法山公園に
この先はいずれ!まずはめんようの里へ
10:45 弘法山に到着
釈迦堂内の弘法太子像
横浜方面
江ノ島方面
東海大学駅へ向かう道があった。
11:35 ランチ休憩を終え出発
11:54 善波峠の御夜灯(おんやとう)
御夜灯があるところから下の矢倉沢往還を望む
珍しい4つ足だ。
灯があるところから下に降りた道が往還
切道しとなっている
切道しにある石仏。右端が聖国太子像
聖国太子像切道しを降りていく
12:08 善波隧道 昭和3年開通。現在は抜け道となっているとか
12:18 国道246号から別れて矢倉沢往還へ
12:39 罵倒観音
12:41 夜泣き石
12:43
12:46 うもれ木、パスされた!
12:52 善波太郎の力石
力石の横にある川。川底は関東ローム層とか。
12:58 地蔵
13:12 史跡箕輪駅跡 奈良時代の駅舎跡
13:17 西光寺
天文年間(1530)中興と言われています。明治以前は旧平沢村総鎮守御嶽、八坂神社別当を歴代務めました。
本尊は弥陀三尊(阿弥陀・観音・勢至)で、脇本尊として不動三尊像があります。
また境内には市指定保存樹木のイトヒバがあります。
西光寺にある毘沙門天
南はだの村七福神と鶴亀めぐりの「毘沙門天」が設置されています。
三浦一族である和田一族の墓がある
13:26 羽黒山からの修行者の供養塔13:29 陣屋 将棋名人戦で有名。
13:36 駅そばの常夜灯
天気もよく約2万歩のウォーキングであった。