2022年9月17日土曜日9:32 晴れ
まずは、彼岸花の特色(Wikipediaの抜粋)
日本列島には中国大陸から有史以前に渡来したと考えられており、現在では各地で野生化している[7]。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったと言われるが、土に穴を掘る小動物(モグラ、ネズミ等)を避けるために有毒な鱗茎を敢えて持ち込み、畦や土手に植えたと推測する意見もある[14]。また鱗茎は適切に用いれば薬になり、また水に晒してアルカロイド毒を除去すれば救荒食にもなる。
日本列島で繁殖しているヒガンバナは、染色体が基本数の3倍ある三倍体であり、正常な卵細胞や精細胞が作られないため、いわゆる「種なし」になってしまい、一般に種子では子孫を残せない[15]。種子を持つ植物と同様の方法では、自ら生育地を広げる術を持たないため、人の手が一切入らないような場所に、突然育つことがない植物である[16]。
ただし、中国大陸には種子繁殖が可能で遺伝的に多様なコヒガンバナが自生し、それらが三倍体化することで幾つかのタイプのヒガンバナが存在する。このため、「中国で突然に生まれた三倍体のヒガンバナが日本に持ち込まれたのだろう」と推察されている[15]。
三倍体の場合は種子ができず、花後に花茎が無くなると(10月頃)葉が伸び出す[6][8][7]。葉は線形で濃緑色で光沢があり、中脈と葉の裏側が白っぽい[8][7]。晩秋に鱗茎1個から長さ30 - 50 cm の細い葉をロゼット状に数枚出して、緑を保ったまま冬を越し、ほかの植物が葉を茂りだす初夏(4 - 6月頃)に葉を枯らして、地上部は見えなくなる[6][8][12]。
日本列島のヒガンバナは種子を作らない、自然の中で生まれた三倍体植物の代表的な種である[15]。ただし、ふつうは結実することはないが、ごく稀に種子ができる場合があるとも言われている[19]。種子ができない代わりに、土の中で球根を作って株分けして繁殖してきたため、遺伝的には同一遺伝子を有し、同じ地域の個体は開花期や花の大きさや色、草丈がほぼ同じように揃う[15]。
彼岸花はなかなか面白い植物と言うことが分かる。
さて、本筋に。昨日は、秦野市上地区一体を散策。役10キロの行程。
上地区は昭和38年に秦野市と合併。それまでは4村で上秦野村として独自の文化を育ててきた地区。
行程は、小田急線渋沢駅(標高165m)を出発し、酒匂川の支流四十八瀬川を超え新東名
方面へ向かい、不動院(標高231m)まで起伏のある山裾を歩き、別ルートで渋沢駅に
戻る約5時間のハイキング。
昨日は、快晴で熱中症が心配だ。やはり途中で一人熱中症でリタイアされた方がいた。
案内図
秦野は今は生産されていないが、以前はタバコの生産地。そのため駅の自由通路にタバコの
二種類が置かれていた。
8:43 本日の参加者は41名。一斑から順に渋沢駅を出発。
9:07 酒匂川の支流で塔の岳、鍋割山などを源流とする四十八瀬川を渡る。
川にかかる田頭橋。向こうは松田方面。
見える橋は小田急線。山は丹沢山系の三の塔。
9:19 川沿いの土手の除草で彼岸花のカットしたため、なかなか見つからない。
漸く見つけた彼岸花。
9:21 小田急線の渋沢駅と新松田駅の間の川沿いの土手は、電車マニアにとって撮影の
のよいポジションとのこと。 偶然ロマンスカーがきた。
普通電車が来た。
9:24 秦野の名産落花生の収穫
9:29 四十八瀬川の土手から小田急線の踏切を越えた。向こうに見える山は大山。
9:40 熊野神社。旧上秦野村の元菖蒲村の鎮守。
9:49 地蔵堂跡に上階段。
跡地に残る碑
9:55 途中にあった馬頭観音。このあたりに馬の爪切場があったそうだ。
9:59 曹洞宗東光院。
10:05 道の反対側にある曹洞宗の浄徳院。かつては蛍で有名だったとか。
奥には庭園があるそうだ。拝観料を取っている。
境内に彼岸花があった。
10:15 更に進む。後ろを見ると頭高山(ずこうやま、標高303m)が見えた。
11:16 公民館で早昼を食べて出発。生き物の里に到着。彼岸花。
11:28 曹洞宗長福寺。1595年建立。
11:46 新東名を潜り先に進むと曽我兄弟願掛けの不動堂。
不動院
12:14 渋沢駅方面に戻る途中、御陵社跡地があった。元柳川村の鎮守
12:21 道祖神。地域特産の杉の葉屋根と竹の柱の小屋の中に祭られている。
12:41 上秦野神社。元4村の鎮守を合祀した神社
上秦野神社は裏から入ったので参道を降りて駅に向かう。
今来た参道をみたもの。
12:52 イボ地蔵。イボが取れるとか?
13:30渋沢駅に到着。久しぶりのハイキングは暑かった!
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