2025年6月19日木曜日

6月18日 南足柄市観光ボランティアと歩く 山北町湯川家の救済事業

2025年6月19日水曜日9:40 晴れ  

今日は南足柄市観光ボランティア協会主催のウィーキング企画に参加。35度越えの猛暑が予想されたため、コースを短くして山北町周辺のみとなった。

今日の企画は、江戸時代の元禄16年(1703年)の大地震と翌年の富士山爆発による大災害を、川村の歴代の名主でる湯山家が江戸時代中期から後期にかけて行った治水対策を見て回るコースである。当時作られた用水は今も使われている。尚、名主湯山家が行ったことは現在かなり忘れ去られていることを、堀りおこすことでもある。因みに今の町長が湯川ということで非常に紛らわしくもなっている。余談だが!

9:16 集合場所のJR御殿場線山北駅に向かう途中、松田駅に小田急ロマンスカーが新宿に向け出発するところであった。

JR東海の御殿場線から小田急線へ



9:27 御殿場線の沼津行乗車
電車内からみた金時山と矢倉岳
山北駅 今日は山北町を流れる皆瀬川の治水の歴史見学ツアー。

湯山 弥五右衛門(ゆやま やごえもん、慶安3年(1650年) - 享保2年11月30日1718年1月1日))は、江戸時代中期の治水[1]

相模国足柄上郡川村山北(現:神奈川県足柄上郡山北町)で代々名主を務める湯山家に生まれる[2]。父は理右衛門[2]

元禄16年(1703年)の元禄地震宝永4年(1707年)の宝永大噴火による用水破壊による洪水で荒廃した村のため、同6年(1709年幕府勘定奉行中山時春皆瀬川の流路変更を願い出たが、多大な費用を必要とするとし不許可となる[2]。しかし、幕府へ訴えた結果、同年11月許可[2]伊勢国津藩藤堂氏による御手伝普請が行われ、酒匂川本流に通じる堀割工事を完成[2]。これにより村は復興した。 

元禄地震以前は、山北駅周辺に皆瀬川が流れていた。富士山の大噴火で火山灰が約70cm積り、これにより洪水が多発。駅周辺は湖の如くなってしまった。このためまずは皆瀬川の流れを酒匂川に流す流水事業を実施。これが掘割事業。

事業は成功したが今度は山北駅周辺の水が無くなり水を得るために皆瀬川の川上から川入堰で水を得る事業を起こした。

明和7年(1770年)には大干ばつで更なる用水の必要性が生じたため全長10キロにも及ぶ瀬戸堰を完成させた。

この他にも江戸時代中期から後期にかけて、湯山家の代々の名主が、御関所堰、北山根堰、南山根堰、河村岸堰、岩流瀬堰などを水不足対策事業を完成させた。 

10:10 まずは駅隣の山北鉄道公園へ
公園から見た駅舎方面 
 

10:18 ちょうど沼津行が通った
10:24 川入堰から南山根堰に流れる用水(JRの上を通るため管理上今は使われていない)
10:41 南山根堰  この先の国道246号線のバイパス方面に流れている
南山根堰の上流方面

川入堰からくる水
10:49 246号線バイパスに咲くユリ

10:51 皆瀬川の流れを変えてできた新しい川

樋口橋の下をと流れる瀬戸堰。今は土管になっている

 




10:57 用水路整備を行った先人の苦労をしのんで建立されたのが川村土功之碑
 11:06 河村関所跡  正式な場所は不明

徳川幕府は、江戸の守りを固めるため「入鉄砲」「出女」の監視に、全国の重要な街道に関所を置いた.
なかでも東海道の箱根関所は「重キ関所」として脇往還に根府川関所 仙石原関所、矢倉沢関所、川村関所、谷ケ関所の五つの関所が置かれていた.
天保十二年(一八四一) 幕府によって編さんされた新編相模国風土記稿の川村山北に御関所西方にあり、川村御関所 あやまぎ 奥山家及び駿州への往来なり、 小田原藩の預る所にし ばんかしつ じょうばん あしがら 警衛士藩頭一人、定番二 足軽二人を置けり、 建置 つまびらか の年代詳ならず」と記されている.
その場所がこの周辺である。

この関所への道は、小田原からの甲州道を南足柄市向田で分かれ、北上して当岸から山北に入り関所を越えて共和・清水 三保地区を結ぶ奥山家への道と、途中で分かれて駿州への「ふじみち」として信仰の人々の往来にも供された道である。

しかし小田原藩領民以外の女性は通行できなかった。 なお、通行にあたって村内で扱う山物 (薪炭など)に十分一銭という通行料を徴収したことも知られている。
関所の規模は、正徳三年(一七〇三) 河村御関所掛村々諸くそうけんあわせて色文帳に「棚惣合貮百六拾壱間半」(約四七六米) と記され、相当の敷地を有していたと思われる.
また、関所の普請、柵木、番衆居宅修理、人足の差出などを関所守村・要害村として、明治二年まで近隣の十四ヶ村に割当てられたなどの記録も残っている.

11:29 この辺りの皆瀬川を長さ330m、深さ9から15mをわずか8日間で掘り広げた掘割。狭くなっているところまで。
室生神社の神輿のお清めをここで行った。しかし東名高速の工事で土手ができて今は行っていないと。
東名高速の橋を下から見上げる
金網の奥には皆瀬川の上流から水を引き入れている土管が埋められている。勾配はほとんど平行に見える角度だ。
珍しいとか
蓋がしてある下を水が流れている
堰が続く。ほとんど平行にみえるわずかな角度だ!因みに道路は若干の登り。

12:15 休息を兼ね地元のお豆腐屋さん絹華で、絹豆腐と木綿豆腐を試食。国産大豆4~5種を混ぜて作った豆腐。うまかった。
12:33 北山根堰沿いに歩く
12:34 この席は山北中学方面まで続いている。
途中に咲いていた。

12:47 ひっそりとある湯山累代の墓

12:54 鶴野観音堂 詳細は不詳。湯山名主がここで相談をしたとか。

12:58 地元の肉屋さん。コロッケが人気で参加者全員一個づつ試食。 

13:01 中通り堰

14:04 山北町生涯学習センターで解散後、開成町まで歩いて帰ることに。途中地元では有名なジャカランタの花。今年は不作とか。確かに例年に比べ花がかなり少ない

14:12 ヨウフヨウ

14:27 京成町の瀬戸屋敷でソフトクリームを食べる。
15:12 酒匂川のそばの田んぼに!この辺りでは特に珍しい光景ではないが。
約18千歩のハイキング。35度の極暑の中ちょっと疲れ気味。ボランティアの方々に感謝だ!
 

0 件のコメント:

コメントを投稿