2025年6月27日金曜日

6月27日 秦野観光ボランンティアと歩こう! 夏越しの茅の輪くぐりと湧水めぐり

 2025年6月27日金曜日15:10 快晴

 今日は極暑の中、秦野市観光オランティアと歩こう!の企画に参加。テーマは、夏越しの茅の輪くぐりと湧水めぐり。

 

秦野市は、神奈川県で唯一の盆地であり、その地下構造は地下水を貯めておく「天然の水がめ(地下水盆)」となっています。

この天然の水がめには、約7億5千万トンの地下水が蓄えられており、この豊富な地下水が市内のいたるところで湧き出ています。現在22か所で1日約8000トンの湧水が利用されている。昭和60年には日本名水百選に選ばれ、平成28年には「おいしい水全国一位」に輝いた。

水汲み場も多く存在し、市内外から、多くの方に足を運んでいただいています。

詳細 https://www.kankou-hadano.org/springwater/placestodraw.html 

8:33 秦野 駅を出発。参加者30名とごくしょが予想されたので少ない目だ。

8:40 弘法の清水  丹沢の山々から生まれた扇状地の南側にある渋沢丘陵が隆起して水が貯められ、湧水として自噴している。


8:46  寿徳寺湧水地
湧水地は先の木々の中
秦野駅のすぐそばであった
8:58 曹洞宗太岳院着 秦野市の重要文化財に指定されている木造十一面観音像を納めています。平成19年に世界的に著名な建築家、安藤忠雄氏の設計による本堂に改築されました。すぐ隣には地元の人々が「太岳院池」と呼び親しんでいる「今泉名水桜公園」があり、公園も安藤忠雄氏の設計です。
この門は西に向いており、木々の向こうには富士山が見える
望遠にするとかすかに富士山が見える
朽ちかけた説明版

公園内  マンションの場所はもとは釣り堀であった。水泳教室もあったらしいが水が冷たすぎたそうだ。
9:17 室川を渡る。 北側を流れる水無川は地下に水が浸み込んでしまうが、この川は扇状地ではないらしく水が常に流れている。
9:19 向原湧水  蛍が多い湧水地
9:25 マラセの神

今泉の中町には、マラセの神と呼ばれている男性器の形をした道祖神がある。昔、この地域には男の子が生まれることが少なかったので、男の子が授かるように祈願して1851年<嘉永4>に祭られた。
 その道祖神はいたずらによって壊れたので、明治時代に持ち運びのできない大きなものを造ったという。1月14日になると、小屋が作られ、御札売りやどんど焼きなどの子どもを中心とした伝統行事が今でも行われている。

9:47 小藤川湧水
湧き出ている湧水


9:51 兵庫の泉

和田さんの裏庭から出る伏流水を道路まで引いてきれいな石組みから流れ出ます。「兵庫の泉」というのは和田さんのご先祖が戦国時代小田原北条氏に使え「和田兵庫」と名乗ったことに由来します。

この湧水を使った豆腐は美味いと評判だとか 
 
10:08 出雲大社相模分詞  

出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公に請願して、当地累代の神職であり、「秦野煙草の祖」と仰がれる草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。



出雲大社相模分詞の境内にある龍蛇神の社   

出雲地方に古来より伝わる龍蛇神様を千年の杜の守り神としてお祀りする。
古くより、出雲の地では旧暦10月10日に全国の神々が参集し、縁結びの会議がなされるといわれる。
10月を神無月と呼ぶ所以でもあり、出雲地方では神在月(かみありつき)・お忌みさん(おいみさん)とも称し特別な信仰がある。神々が集う出雲の地に全国の神々をご案内・先導する神様が龍蛇神様である。縁結び・金運の御利益があるとされる。




10:23 御嶽神社 相模分詞の横にある

ケヤキ


相模分詞の正門入り口
11:21 白笹稲荷神社 

江戸時代初期は「白篠(しらささ)」の文字を用いていました。1774年(安永3年)に由来を明らかにするため、新たに伏見稲荷を祭って再建されました。
神社のキツネは、農作物の外敵であるネズミを食べてくれるため、春の耕作の始めに田神(たのかみ)として迎えられる食べ物の神様の使いと考えられていました。
毎年2月の初午(はつうま)には、五穀豊穣を祈って祭りが行われ、各地から大勢の参拝者が訪れます。
関東三大稲荷のひとつに挙げられています。
秦野の水源地「一貫田湧水」が近くにあります。

合歓の木


本殿の天井
雲竜図
11:49 南小学校のそばで地元の農産物を売っていた


このトマトを購入
12:01 荒井湧水
7年ほど前に整備されたそうだ。
今日は極暑。途中で一人熱中症を避けるために帰宅。賢明な判断かも。それにしても暑かった。ボランティアの方に感謝だ。


 

2025年6月19日木曜日

6月18日 南足柄市観光ボランティアと歩く 山北町湯川家の救済事業

2025年6月19日水曜日9:40 晴れ  

今日は南足柄市観光ボランティア協会主催のウィーキング企画に参加。35度越えの猛暑が予想されたため、コースを短くして山北町周辺のみとなった。

今日の企画は、江戸時代の元禄16年(1703年)の大地震と翌年の富士山爆発による大災害を、川村の歴代の名主でる湯山家が江戸時代中期から後期にかけて行った治水対策を見て回るコースである。当時作られた用水は今も使われている。尚、名主湯山家が行ったことは現在かなり忘れ去られていることを、堀りおこすことでもある。因みに今の町長が湯川ということで非常に紛らわしくもなっている。余談だが!

9:16 集合場所のJR御殿場線山北駅に向かう途中、松田駅に小田急ロマンスカーが新宿に向け出発するところであった。

JR東海の御殿場線から小田急線へ



9:27 御殿場線の沼津行乗車
電車内からみた金時山と矢倉岳
山北駅 今日は山北町を流れる皆瀬川の治水の歴史見学ツアー。

湯山 弥五右衛門(ゆやま やごえもん、慶安3年(1650年) - 享保2年11月30日1718年1月1日))は、江戸時代中期の治水[1]

相模国足柄上郡川村山北(現:神奈川県足柄上郡山北町)で代々名主を務める湯山家に生まれる[2]。父は理右衛門[2]

元禄16年(1703年)の元禄地震宝永4年(1707年)の宝永大噴火による用水破壊による洪水で荒廃した村のため、同6年(1709年幕府勘定奉行中山時春皆瀬川の流路変更を願い出たが、多大な費用を必要とするとし不許可となる[2]。しかし、幕府へ訴えた結果、同年11月許可[2]伊勢国津藩藤堂氏による御手伝普請が行われ、酒匂川本流に通じる堀割工事を完成[2]。これにより村は復興した。 

元禄地震以前は、山北駅周辺に皆瀬川が流れていた。富士山の大噴火で火山灰が約70cm積り、これにより洪水が多発。駅周辺は湖の如くなってしまった。このためまずは皆瀬川の流れを酒匂川に流す流水事業を実施。これが掘割事業。

事業は成功したが今度は山北駅周辺の水が無くなり水を得るために皆瀬川の川上から川入堰で水を得る事業を起こした。

明和7年(1770年)には大干ばつで更なる用水の必要性が生じたため全長10キロにも及ぶ瀬戸堰を完成させた。

この他にも江戸時代中期から後期にかけて、湯山家の代々の名主が、御関所堰、北山根堰、南山根堰、河村岸堰、岩流瀬堰などを水不足対策事業を完成させた。 

10:10 まずは駅隣の山北鉄道公園へ
公園から見た駅舎方面 
 

10:18 ちょうど沼津行が通った
10:24 川入堰から南山根堰に流れる用水(JRの上を通るため管理上今は使われていない)
10:41 南山根堰  この先の国道246号線のバイパス方面に流れている
南山根堰の上流方面

川入堰からくる水
10:49 246号線バイパスに咲くユリ

10:51 皆瀬川の流れを変えてできた新しい川

樋口橋の下をと流れる瀬戸堰。今は土管になっている

 




10:57 用水路整備を行った先人の苦労をしのんで建立されたのが川村土功之碑
 11:06 河村関所跡  正式な場所は不明

徳川幕府は、江戸の守りを固めるため「入鉄砲」「出女」の監視に、全国の重要な街道に関所を置いた.
なかでも東海道の箱根関所は「重キ関所」として脇往還に根府川関所 仙石原関所、矢倉沢関所、川村関所、谷ケ関所の五つの関所が置かれていた.
天保十二年(一八四一) 幕府によって編さんされた新編相模国風土記稿の川村山北に御関所西方にあり、川村御関所 あやまぎ 奥山家及び駿州への往来なり、 小田原藩の預る所にし ばんかしつ じょうばん あしがら 警衛士藩頭一人、定番二 足軽二人を置けり、 建置 つまびらか の年代詳ならず」と記されている.
その場所がこの周辺である。

この関所への道は、小田原からの甲州道を南足柄市向田で分かれ、北上して当岸から山北に入り関所を越えて共和・清水 三保地区を結ぶ奥山家への道と、途中で分かれて駿州への「ふじみち」として信仰の人々の往来にも供された道である。

しかし小田原藩領民以外の女性は通行できなかった。 なお、通行にあたって村内で扱う山物 (薪炭など)に十分一銭という通行料を徴収したことも知られている。
関所の規模は、正徳三年(一七〇三) 河村御関所掛村々諸くそうけんあわせて色文帳に「棚惣合貮百六拾壱間半」(約四七六米) と記され、相当の敷地を有していたと思われる.
また、関所の普請、柵木、番衆居宅修理、人足の差出などを関所守村・要害村として、明治二年まで近隣の十四ヶ村に割当てられたなどの記録も残っている.

11:29 この辺りの皆瀬川を長さ330m、深さ9から15mをわずか8日間で掘り広げた掘割。狭くなっているところまで。
室生神社の神輿のお清めをここで行った。しかし東名高速の工事で土手ができて今は行っていないと。
東名高速の橋を下から見上げる
金網の奥には皆瀬川の上流から水を引き入れている土管が埋められている。勾配はほとんど平行に見える角度だ。
珍しいとか
蓋がしてある下を水が流れている
堰が続く。ほとんど平行にみえるわずかな角度だ!因みに道路は若干の登り。

12:15 休息を兼ね地元のお豆腐屋さん絹華で、絹豆腐と木綿豆腐を試食。国産大豆4~5種を混ぜて作った豆腐。うまかった。
12:33 北山根堰沿いに歩く
12:34 この席は山北中学方面まで続いている。
途中に咲いていた。

12:47 ひっそりとある湯山累代の墓

12:54 鶴野観音堂 詳細は不詳。湯山名主がここで相談をしたとか。

12:58 地元の肉屋さん。コロッケが人気で参加者全員一個づつ試食。 

13:01 中通り堰

14:04 山北町生涯学習センターで解散後、開成町まで歩いて帰ることに。途中地元では有名なジャカランタの花。今年は不作とか。確かに例年に比べ花がかなり少ない

14:12 ヨウフヨウ

14:27 京成町の瀬戸屋敷でソフトクリームを食べる。
15:12 酒匂川のそばの田んぼに!この辺りでは特に珍しい光景ではないが。
約18千歩のハイキング。35度の極暑の中ちょっと疲れ気味。ボランティアの方々に感謝だ!