9月28日は月に一度の野洲市での仕事の日。
新幹線で京都に行き、まずは墓参り。
車窓からみた富士山
相国寺塔頭長得院。
墓参り。30日は母の五回忌だ。
久しぶりに出町商店街へ
丹波屋は購入客で長蛇の列。このおた福屋も美味しいのにと思いながらも力をつくづくと感じる。
栗が美味しかった
手ごろな大きさのおはぎ
出町交差点そばの蕎麦屋田舎亭
蕎麦定食950円
9月28日6時ごろの彦根駅の南口の様子
JR河毛駅前
今日は一日こんな日天気であった。
10時スタート。参加者は10人。うち3名女性。
ガイドは脇坂氏の子孫の方と地元の伏木さん。
二人とも健脚で70歳以上だ。
コースタイムは説明を聞きながら6時間コース。
以前に本丸までバスで行ったが、そこから上は行っていないので貴重な体験だ。
虎御前山
小谷山
資料館前の案内図
琵琶湖と小さく写る竹生島
虎御前山方面
本丸から赤尾屋敷跡を見下ろす。この館跡が浅井(「あざい」と読む)長政自害の地といわれている場所。
京極丸。真ん中のコケがある辺りから秀吉が攻め込んだといわれている。
この苔のあたりに隠し道があり、籠城の際この道から水や食料を運び入れたといわれている。
秀吉は浅井配下のものを買収してこの隠し道を知り、堅剛な城をやっとこさで落とすことができた。
京極丸は本丸の上にあり、秀吉はこの京極丸から下の本丸を攻めて落城させた。
本丸を下から攻めるのはほとんど不可能で、盲点は上の京極丸であったのを秀吉が見つけた訳だ。なるほどな!
秀吉が長浜城を築城する際に小谷城の石を再利用したが、ここだけはなぜか手付かずに残された。貴重な遺構だそうだ。
山王丸。ここ石垣の前に山王神社があった。
浅井の中心は農民で宗教的には比叡山の影響力が強く団結していた。
そのため農民の力を削がせないために比叡山の日吉大社から山王社を勧請したといわれている。
大獄城跡へ行く道と交差する裏街道の忍道。福井方面へ延びている。
反対の琵琶湖方面
初代浅井亮政が最初に築いた城跡が大獄城跡にもうすぐだ。
彦根方面
この尾根を登ってきた
二重の堀切跡がある場所へ向かう
ここも堀切。この先が二重の堀切
山の上に向かう堀切跡
下側の堀切
これも堀切
脇坂谷へ向かう
脇坂谷にある屋敷跡
賤ヶ岳七本槍の一人脇坂甚内安治の屋敷だ
一族がこの谷に昭和まで済んでいたそうだ。鉄砲水が出るので一族でここを離れたとのこと。
谷を出て丁野(「ようの」と読む)へ向かう
岡本神社
坐像の十一面観音は珍しいとのこと。
丁野山城付近
ここから河毛駅へ向かい解散。ちょうど16時到着。
0 件のコメント:
コメントを投稿