2023年8月25日金曜日8:27 快晴
8月16日水曜日11時過ぎに開成町の自宅を出て次女一家が住む長野県佐久市へ出発した。
ルートは、国道246号線から御殿場方面に行き、須走から東富士自動車道で河口湖へ。
しかし自動車道の長いトンネル内で事故があり、トンネル内で交互通行の大渋滞。30分以上
を要して河口湖へ。そこからは御坂トンネルを経由して甲府市へ。
中央高速笛吹八代スマートインターから韮崎インターで降り、国道141号線で野辺山から
佐久へ向かう。ガソリン代と高速代節約でこのルートを選択した。
8月17日木曜日 次女と孫3人と計5人で白駒の池へ出かけた。
北八ヶ岳の広大な原生林の中に、満面に清水をたたえた神秘的な湖。標高2,100m以上の湖としては日本最大の天然湖で、国道299号線沿いの駐車場から歩いて約15分程度で白駒の池まで行けます。湖までの歩道の回りは樹齢数百年の時を刻んだコメツガ、トウヒ、シラビソの原生林で、地上はまるで緑のジュウタンを敷きつめたような苔が一面を覆っています。 春は遅く5月でも雪がみられ、可憐なピンクの花をつけるイワカガミが遅い春の訪れを知らせ、ナナカマドが赤い実をつける晩秋まで急俊な高山を登らなくても子供からお年寄りまで、気軽に高山植物や大自然の織りなす季節の移り変わりを見ることができます。
白駒の池入口に一歩足を踏み入れると、一面に広がる青き苔に目を奪われます。ここは、485種類の苔が生息する「苔の森」 さあ、苔に包まれた原生林の神秘的な癒しの世界をゆっくり歩きましょう。その日の天候によって表情の違う苔、気になる苔を見つけたら、そっと語りかけてみてください。まるで、苔があなたを観察しているようです。ルーペや虫めがねを使うと、緑の絨毯にしか見えなかった苔も、枝分かれのしかたや葉の形など、種類ごとに個性が見えてきます。苔の名前を覚えるコツは、姿や形だきでなく、何の上に生えているかを覚えることです。森の奥には、きっと珍しい苔があるでしょう。でも、登山道をはずれて森の中に入ってはいけません。道に迷ってしまうばかりではなく、実は登山道周辺が苔の種類が一番多く見られる場所だからです。白駒の池周辺は、10ヵ所の森に名前がつけられています。それぞれの森には特徴があり、苔の種類にも違いがあります。
11時過ぎに到着。2100m以上にある天然の自然湖、曇り時々雨という天候であったが なかなかの苔の森。ちゃんとした登山の服装をした人から普通の夏の服装まで様々。私は普通の洋服であったのでちょっと涼しかった。
池への入り口
苔の森
11:35 白駒の池、15分かからない!
ここで昼食
突然雨が!
白駒荘を対岸から見る
対岸にあった別の山荘「青苔荘」
8月19日 19時から佐久市の花火大会。次女の家から見学。
8月22日火曜日 今日は妻と二人で市内を散策
成田山参道にある「ぴんころ地蔵尊」。
一度聞いたら耳に残るユニークな響きのお地蔵さんは、高さ約1m、直径約60cmで、2003年(平成15年)9月に建立されました。やさしく微笑みながら、ほほに右手を添えた愛らしい姿が印象的で、健康長寿にあやかろうと県内外から多くの人が“ぴんころ詣”に訪れる、全国的にも有名な観光スポットです。お地蔵さんの名前は、健康のまま天寿を全うする意味の“健康で長生きし(ぴんぴん)寝込まず楽に大往生する(ころ)”をヒントに命名されました。デザインは、ふっくらとした石仏作品で知られる愛媛県今治市の作家「馬越正八」さんの作品で、欧州産の御影石を使用し、なんとも微笑ましい姿で、今では健康・長寿のシンボルとなっております。
真っ赤な欄干の成田橋の山門アーチをくぐり、石畳の参道、仲見世通りを進んだ成田山「山門」手前で、皆様のご参拝をお待ちしております。
ぴんころ地蔵のある成田山薬師寺は、真言宗智山脈の名刹。本山成田山より観請された不動明王をはじめ、大日如来、愛染明王、薬師如来、千本仏などが納められている。
無料駐車場に車を止め散策開始。暑いためか誰もいない!
土産屋にあった模型
参道
かわいらしい「ぴんころ地蔵」
成田山薬師寺境内散策
この後行く佐久市臼田にある竜岡城の五稜郭の通用門を移築したとある。
竜岡城の五稜郭
龍岡城五稜郭は、函館五稜郭とともに日本に二つしかない星型稜堡をもつ洋式城郭です。
龍岡城は、江戸時代末期に田野口藩主 松平乗謨が元治元年(1864)に田野口藩新陣屋として着工し、慶應3年(1867)に竣工しました。
フランスのボーヴァン将軍が考案したといわれる稜堡式築城法によるもので、突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。
廃藩後明治5年(1872)城は取り壊しになりましたが、堀と土塁、建物の一部「お台所」が城内に残されています。
昭和9年(1934)5月1日に国史跡として指定されています。
掘り沿いに散策
この門から中へ
中にあった神社
標高720m
次は新海三社神社。なかなかな神社だ!御祭神は
興波岐命(オキハギノミコト):東本社
建御名方命(タケミナカタノミコト):中本社
事代主命(コトシロヌシノミコト) 誉田別命(ホムダワケノミコト):西本社
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創立
建御名方命の御子「興波岐命」は新開(ニイサクノ)神・大県神・八県宿禰(ヤノアガタスクネ)神とも称され、田口に本拠を構えて千曲川等の河川の氾濫原や平地を開拓した集団の長であり、佐久地方開拓の祖神として古墳時代にこの地に祀られました。八県宿禰神は貞観十年(868)正五位下を授けられています。
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佐久郡三庄三十六郷の総社
建御名方命と事代主命は国土経営に大功をたてられ、興波岐命の御父神、御伯父神であらせられるので、ともに斎祀して新海三社神社と称するに至りました。佐久郡の人々は興波岐命の神恩に感謝し、祭典も盛大に行われ、佐久郡の社家は佐久郡三庄三十六郷の総社である当神社の祭典に出仕しました。
御神幸は往時、岩村田・春日・志賀・上平尾・余地等に出掛け、古くは東御市本海野への御神幸がありました。神主が御霊代(ミタマシロ)を奉じて騎馬にて御神幸(巡行)し、御神幸先には御仮屋を建て神事を行いました。 -
武将の崇敬
源頼朝は草津方面に遊猟の節、当神社に参詣、源氏の祖神誉田別命(八幡さま)を祀るよう沙汰されると共に社殿を修理再建し、社領を寄進しました。足利氏も当神社のことを沙汰し、武田信玄は永禄八年(1565)上州箕輪城攻略の際、祈願文を奉り、天正年間には修築を行わせています。徳川氏も造営の内助費を下付し、竜岡藩主も祈願所とし、鉾、手水舎等の寄進や修復の寄付などをしています。
神楽殿 拝殿への階段が工事名のため神楽殿の階段から中へ天神社
東本社 興波岐命(オキハギノミコト)を祭神とする
拝殿の後ろにある中本社他
中本社 建御名方命(タケミナカタノミコト)を祭神とする西本社 事代主命(コトシロヌシノミコト) 誉田別命(ホムダワケノミコト)を祭神とする
拝殿のしたにある巨木2本
神楽殿
奥に立つ三重塔
三重塔の後ろにあった階段を上ると別の社があった。
社から見た三重塔
社に上る急な階段
杉並木を大鳥居の方へ降りてみた
参道 奥には拝殿がある
大鳥居に行く手前の巨木
妻が小さく見える巨木
駐車場のところにあった地蔵群
大鳥居
8月24日の早朝6時ごろの八ヶ岳方面 次女宅の前から見る
左に方角には冬には北アルプスが見えるとか
近所の農家の奥さんが朝六時に持ってきてくれた新鮮野菜!
9時過ぎに開成町へ出発。開成は暑そうだ!