2022年12月2日金曜日
昨日は秦野市観光ボランティア協会主催のウォーキングに参加。矢倉沢往還を歩く~
富士を仰ぐ足柄峠へに参加。約9キロの予定。結果自宅からの往復で約25千歩歩いた。
8:20 小田急線新松田駅を出発。箱根登山バスの臨時増発便で出発。天気は曇りだ。
今日一日天気の回復は見込みなし。従って足柄峠からの絶景である富士山は残念至極。
標高350m
足柄古道へいざ!9:30 最近開通した金太郎ライン(箱根千石原へ抜ける隠れ林道)沿いに行くと
大森氏の城跡が。古道の監視らしい
杉の植林で場所は分からないが、このあたりらしい。頼朝のひじ松というところがあった。頼朝は足柄峠を4回越えていると。
中秋の名月の時、ここで頼朝が休息。そのとき松の枝が邪魔で見えなかったため枝を曲げさせたとのことらしい。しかし50年前にその松は枯れてしまったので今は2代目の松が植えてある。
この松が二代目
9:54 金太郎ラインからはずれ金太郎の生家跡地へ。
ここに家があったと。
紅葉はそろそろ見納めか?金太郎が遊んだ大岩
この付近の地形の説明
10:08 地蔵堂の駐車場にあるトイレ近辺で休憩
駐車場からみた内川10:13 地蔵堂 標高415m ここから足柄古道を足柄峠に向かう。最初は県道沿いにいくも途中から山道に入る。
足柄古道にひかれた石の道
11:24 峠に近いところに足柄明神跡がある。もともとは矢倉岳の頂上にあり、そこからこの場所に移り、現在は足柄神社に移された。
矢倉岳が目の前にある
古事記に、倭建命がこのあたりで道に迷っているところを白い鹿が道案内をしたとか。
足柄明神跡が静岡県との県境。これから静岡県に入ると強盗を取り締まるために設けられたの関所があった。
多くの歴史上の人物が通過した峠
標高759m。約400m上がってきた。
峠にある三大聖天尊の一つ足柄聖天尊
12:06 ランチは足柄城跡で。富士山は見えず。風が午前中より冷えてきた!金時山も見えない!
城跡内の遺跡
玉手ヶ池足柄聖天尊の入り口にあった金太郎
峠にはこんな碑も
12:21 足柄峠からJR足柄駅に降りる。今度は下りだ。
12:48 途中にあった上の六地蔵としたの六地蔵。下はなぜか8体ある。
足柄峠まであと一息というところに鎮座する地蔵群。「六」の所以は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)を彷徨う衆生を救済する六人の地蔵菩薩様からきているといわれている。しかしこの六地蔵は2箇所にあり、峠に近いものを「上の六地蔵」、もう一方を「下の六地蔵」と呼び区別している。「下の六地蔵」は8体あるが、これらはいずれも竹之下合戦の弔いのために方々にあったものを、一カ所に集めたものではないかと言われている。
12:51 芭蕉の碑 雲に隠れて見えなかった富士山が見えたときのよんだ句
12:52 足柄古道はこの赤坂古道を降りるのだが、がけ崩れで通れずこの先の虎御前古道を行く。
相模の国より甲斐の国へ海産物を運搬するのに利用されていた。昔このあたりで須恵器を造るための赤土が取れたため名づけられたという。「天狗松」「駒留の松」「景気石」「呼まわり石」「夜泣き松」等がある。
通った後がまるで無い。早く修復してほしいものだ13:02 虎御前古道に入る
虎御前石 曽我兄弟の仇討ち成功を祈願した曽我の兄の恋人の虎御前がこの石に座り、富士山に向かって祈願したところ。
更に下山
林道に出た
この端は伊勢宇橋という。江戸時代の豪商伊勢宇兵門が儲けた財産を社会に役立たせるために全国に88箇所の橋をかけた、この橋は85番目だとか。最初は1.5mほどの橋だったとか。
その碑が横にあった。
その橋の先に唯念上人筆による日本一大きな石佛があった。この字体をひげ文字とか蔦文字という。
暗くなり紅葉も目立たない
地層が露出していた
更に林道を下山
椿ヶ渕 このあたりが足利軍と新田軍が戦った竹の下の合戦があったところ。
下山途中右手に小さな滝が見えた
そろそろ皆さんに疲れが見えてきた
今歩いているコース。
銚子ヶ渕 結婚式の祝いの場で花嫁に酒をついでほしいといわれ立ち上がった瞬間におならをしてしまった。それを悔いて身投げをした渕がじょの渕。
この奥にあるとの説明。でも行かず!
竹の下合戦か、読みづらい?
14:24 嶽の下教団の奥の院
14:45 足柄駅に近づいた。
竹の下踏切からみた駅
鮎沢川にかかる橋、ちつか橋。新田軍が退却する際この橋を落として行った為、足利軍が川を渡るために千の束で積み上げて超えたと言うことから命名されたとか。ちつか
14:50 足柄駅が隈研吾の設計によるいもの。
15:20発の御殿場線にのり帰宅。結局雨も風も無く無難なウォーキングで良かった。