2026年4月18日土曜日

4月16日秦野市観光ボランティアと歩こう 上地区歴史散歩

 2026年4月18日土曜日11:00 快晴

16日木曜日は秦野市観光ボランティアと歩く企画に参加。テーマは上地区歴史散歩。上地区とは秦野市の西部で四十八瀬川(酒匂川の支流)より西側の地域で、秦野市誕生以前は足柄上郡に属していた地域。秦野市誕生の際に住民投票で秦野市に編入されることになった。

 8:44 小田急線渋沢駅を出発

8:59 途中のヤエザクラ

9:12 御嶽神社 江戸時代に蔵王宮と呼称、堀郷の4村の鎮守。

奈良時代、御嶽信仰は吉野の金峰山を霊場とする山岳信仰に始まり、「金剛蔵王権現」を祭神とする修験道は室町時代に全国に広まった。江戸時代になると修験者の移動が禁じられ各地に定住し加持祈祷や安産祈願等をするようになった。従って当神社も室町時代頃に「蔵王権現」を祭神とする「蔵王宮」といわれる神社が創建されたものと思われる。堀四ヶ村(堀山下村、堀川村、堀斉藤村、堀沼城村)の鎮守として上社が堀の郷八幡宮(堀山下の八幡神社)で下社が蔵王宮として信仰され、毎年祭典には堀の郷の氏子総代が参拝する慣習が現在でも残されている。明治維新の時に神仏分離令が出され、修験道が廃止され神道の国教化が進み廃仏毀釈運動が高まり、明治6年、「日本武尊」を祭神とする御嶽神社と呼称されるようになり、村社に格付けされた。さらに、明治末年には大森稲荷神社の祭神である宇迦之御魂命を県庁の指示により合祀された。

祭神  宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)と日本武命(やまとたけるのみこと)

 

両部(りょうぶ)鳥居 広島の厳島神社の鳥居と同じ





9:33 大山道を北上する途中
9:35 波多川地蔵堂

三界万霊塔

秦野市内では江戸時代から戦前までお地蔵さんを祀る信仰が盛んで地域ごとに”地蔵堂”がありました。
中でも”二十四地蔵”を選びました。
各所の地域的な特徴を詠み込んだ”ご詠歌”(仏徳を讃える和歌)を唱えながら参拝したようです。
このうち現在場所がはっきりしている堀西波多川(はだがわ)の自治会館にこのお堂を詠み込んだ看板ができました。
「はだ川の流れをむすぶ手のうちに宿れる月の影ぞさやけり」。

9:39 藤が満開だ

9:42 天津神社

神社は一般的に南向きか東向きが多いが天津(あまつ)神社は西向き。

神社の正面は真西より15度南に向いており、この傾きは春分の日と秋分の日は太陽が真東から真西に沈むことに。さらに、天津神社は明治維新以前に「第六天社」と呼ばれていたことから(第六天は、織田信長が深く信仰していた他化自在天(たけじざいてん)のこと。)、天津神社は仏教(仏教では、夕方に西方浄土(極楽浄土)に繋がる)と関係していると考えられる。

 



春分の日と秋分の日は、鳥居の真ん中に太陽が真西に沈む。

9:52 桂林寺

もとは真言宗であったが今は浄土宗の寺。以前行われていた大数珠を数人で回しながら南無阿弥陀仏と唱える「百万遍念仏」が行われていたが、最近復活した。




本堂内部

10:05 道端の道祖伸 隣には庚申塔があり「みろくじ」の道標が刻まれている。 

秦野市上地区の小原(おばら)地蔵堂には、古くからの道標を兼ねた庚申塔が残されています。この塔には「右 三廻部(みくるべ)村道 左 やま道 みろくじ道」と記されており、江戸時代から弥勒寺周辺へ向かう道として機能していたことが分かります。

 秦野市の「弥勒寺」は、現在の秦野市三廻部(みくるべ)周辺の旧地名および、寄(やどりき)エリアへ向かう道すがらの歴史的地域として庚申塔に関連づけられています。

10:11 四十八瀬川沿いに北上
ニワウルシ(庭漆)の若葉
10:41 上地区に入るとある道祖神 左の道は寄(やどりぎ)に抜ける古道
塔ノ岳が良く見える
道祖神の屋根に萱を被せる風習と古道

秦野の市内方向
高取山方向 
 
右が大山 左が三の塔
11:44 シャクナゲ(石楠花)

ガイラルディア(和名テンニンギク)

11:50 生き物の里
11:57 生き物の里から少し北上したところにある道祖伸
道祖伸のまえに広がる最近移住してきた人が住んでいる地域
12:06 長福寺 1595年建立の曹洞宗の寺










12:24 不動院

柳川山不動院は現在廃寺になっています。本尊は体の白い白體不動尊です。
兄の曽我十郎が不動明王に捧げた願文は、三廻部の観音院に保管されているそうです。



アヤメ科のシャガ(射干)が満開だ


本尊は体の白い白體不動尊

12:54 桜のギョイコウ(御衣黄) 緑色の花を咲かせる珍しい桜

上小学校の北側の近くに咲いていた。ボランティアの方も知らなかったそうだ。 



12:59杉の葉屋根、竹の柱の小屋に道祖神がある。 


13:19 上秦野神

社当神社の創立年代は明らかではありませんが、後陽成天皇(百七代)の文禄3年9月、再建し、仁孝天皇(百二十代)の文政4年正月、更に社殿を建築したと云われています。古くは社号を八幡大菩薩と称しましたが、明治元年2月、八幡神社と改めました。明治11年7月、村内明神社、天神社の2社を合祀し、其の後明治42年迄の間に前記の各神社の祭神十九柱を合祀するに当たり、仝年4月7日、社号を上秦野神社と改めました。終戦後「宗教法人上秦野神社」と呼称されるに際し、住吉神社御分霊を旧三廻部住吉神社に分祀し、住吉神社は独立祭祀を行うようになりました。


茅の輪



13:29 馬場のイボ地蔵
秦野のイボ地蔵は、主に香雲寺(西田原)と、菖蒲地区の畑の脇(馬場のイボ神様)にある2箇所が知られています。どちらも地蔵前の石でイボをこすると治るという民間信仰があり、かつてはイボ取りのお礼として唐辛子が供えられることもありました
馬場のイボ神様: 菖蒲地区、甘柿橋近くの畑の脇に立つ。舟型光背を持つ地蔵菩薩で、供えられた石でイボをこすると治るとされています。

13:36 イボ地蔵から降りてきたら馬場坂と書いてある道標があった。
13:40 四十八瀬川の上流 のどかだ!
13:45 最初に書いた御嶽神社まで戻ってきた。 神社に登る階段
13:46 南アメリカ産のイモカタガミ
セイヨウアブラナ
14:02 渋沢駅に戻ってきました。


 18千歩のハイキング。快晴でちょっと暑かったが楽しいハイキングであった。

幹事に感謝だ! 

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