2026年3月11日水曜日

3月10日秦野市観光ボランティアと歩く 矢倉沢往還を歩く②

 2026年3月11日水曜日9:47 晴れ

昨日は秦野市観光ボランティアと歩く企画に参加。テーマは矢倉沢往還を歩く②

小田急線秦野駅から渋沢駅を通り新松田駅までの約11キロを歩く企画。天気は曇りで少し肌寒い。

8:38 秦野駅を出発
8:45 水無川に水は川床の下で伏流水となっている
8:53馬頭観音

秦野市今川町には、名馬「鬼鹿毛」(おにかげ)にあやかって建立されたとされる馬頭観音がある。

  • 場所: 秦野市今川町(国道246号旧道から少し入った路地付近)

  • 背景: かつて矢倉沢往還(大山街道の脇往還)の宿場として栄えたこの地域で、荷役を担った多くの馬たちの供養と安全を祈願し、伝説の名馬「鬼鹿毛」の名を冠して祀られたと考えられています。



9:09 道端の馬頭観音か
9:33 JA相模のじばさんずからみた大山方面の雲
10:16 渋沢駅のそばにある国榮稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ) ここでランチ

國榮稲荷神社(くにさかえいなりじんじゃ)は、神奈川県秦野市(渋沢駅近く)にある、約400年の樹齢を誇る市指定天然記念物「大イチョウ」が有名な神社す。古くから養蚕農家の信仰を集め、かつては競馬の神事も行われていた歴史ある神社で、秋の黄葉や古道(矢倉沢往還)の石仏も見どころです。


イチョウの木

市内最大の大山道の道標
11:06 二つの塚と浅間大神塔

おもしろい雲だ
11:13 出羽三山供養塔がある

11:25 
11:30 なかなか雲がとれない
11:45 この橋が整備されて八瀬川の往来ができるようになった
田頭橋からみた八瀬川を渡る小田急線
12:06 ちょうどロマンスカーが来た
また来た
12:27 寄萱沼(かやぬま)山神社  明治時代に近隣の神社とともに「寄神社(やどりきじんじゃ)」へ合祀(ごうし:合わせて祀ること)された。

地域の信仰拠点として「山の神」が祀られている。「山の神」例祭: 寄1番地(国道246号沿い)に祠があり、大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)を祀って、山の安全や農産物の豊作を祈願する行事が今も行われていえう。


12:40 頭高山への登り口。途中に神山滝がある
登り口
神山滝は二段だそうだ
滝への入り口にはパーキングがある
この奥にある
12:48 門屋畜産(馬肉の専門業者)

松田町で最も知られている畜産業者は、神山地区にある「門屋畜産」です。こちらは全国的にも珍しい馬の専門業者で、馬刺しなどの販売で非常に有名とか。


13:06 東名の下にある供養塔
13:13 下茶屋地区の道標 左:冨士道 右:さい志ょう寺(大雄山最乗寺)とある

13:23 籠場橋の石仏群
籠場橋
13:37 松田町の真言宗延命寺

歴史: 建久年間(1190年代)に、源頼朝に仕えた松田次郎有経によって建立されたと伝えられる歴史ある寺院です。本尊: 延命地蔵菩薩を本尊として祀っています。文化財: 境内には、松田町の指定文化財である「松田氏の供養塔」などがあります。






ここで解散。途中にわか雨があったが思っていたより寒くなく、のんびりと散策で来た。

ボランティアガイドに感謝!



 

2026年3月1日日曜日

2月28日秦野市観光ボランティアと歩く 真田岡崎歴史散歩

 2026年3月1日日曜日11:00 快晴

昨日は秦野市観光ボランティアと歩く会に参加。テーマは、真田・岡崎歴史散歩。秦野市、平塚市、伊勢原市にまたがる地域の岡崎氏に関わる神社仏閣を巡る コース。

源頼朝が兵士に対し挙兵した石橋山の戦いで活躍した真田与一、頼朝の信頼を受け幕府の重鎮として仕えた岡崎義實、両氏のゆかりの地を訪ねる。

予定表 


 

8:30 鶴巻温泉駅南口集合 

8:42 出発後まずは、大ケヤキ

8:49 落幡(おちはた)神社

温泉地として有名な鶴巻温泉のある鶴巻地区にある。なお「落幡(おちはた)」は鶴巻の旧名であり、1955年(昭和30年)までこの近辺の地名も落幡であった。現在無人であり、比々多神社の傘下にある。

「落幡」という地名に関しても伝承があり、“その昔、中将姫が織り上げたとされる大きく美しい幡(旗)がこの地に舞い降りたことからこの地は落幡と呼ばれるようになった”というものと“鎌倉時代の武将である善波重氏(太郎)がこの地で幡曼荼羅という妖怪を射落としたことから落幡と呼ばれるようになった”[1]という二つの異なる伝承が存在する。



合祀150年祭が予定されている。
9:01 おおね公園   湿地帯であったこの地に今はサッカー場、テニスコートなどが整備されている。羨ましい!


9:16 平塚市の曹洞宗天徳寺

曹洞宗寺院の天徳寺は、萬種山と号します。天徳寺は、小田原北條氏の家臣鈴木隼人某(天正2年1574年卒、勝嶺長全)が義翁盛訓禅師(天正14年1586年寂)に帰依し、寺地を寄進して開山、その後真田城跡の当地へ移転したといいます。義翁盛訓禅師は真田城主だった眞田與一義忠公(治承4年1180年石橋山の合戦で討死)を、真田明神と祀り、天徳寺國華長運と追謚して菩提を弔ったといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領11石の御朱印状を受領していました。明治5年には小学郁文堂(後に真田学校)が当寺本堂を校舎として開校しています。

門内に入ってすぐ左手に神輿堂があり。お神輿に「真田尊」「与一公」提灯が多数掲げてあります。




神輿堂前を進み階段を上ると小高い丘の上にお社が建っています。武将真田与一公を祀る与一堂。

与一堂隣の鐘楼

本堂  屋根の上の両方にあるシビ

鴟尾(しび)は、古代の寺院や宮殿の屋根の大棟(おおむね)両端に据えられた大きな飾り瓦です。火除けのまじないとして用いられ、飛鳥〜奈良時代に盛んに使われました。唐招提寺の金堂(奈良県)が有名で、鯱(しゃちほこ)のルーツとも言われます。当寺のシビは魚が跳ねてしっぽを残して海中に没するところを示しており、火除けの意味合いです。

 
山門 


9:32 そばにある陶山(とうやま)さん(与一神輿保存会の会長)のおうちにある段ボールで作られた鎧。



頼朝の鎧

9:37 真田神社

真田神社(さなだじんじゃ)は神奈川県平塚市真田にある神社。かつては例祭時の農具市が非常ににぎわうことで有名であり、瑞垣にある寄進者の住所が広範囲に及んでいることからも当時のにぎわいが窺える。

平安末期の武将、真田与一が守護神として畏敬したといいます。 喘息除けの神、疫病除けの神で名高く、近郷近在から田植えを終えた人々が群をなして参拝に訪れ、その賑わいは今日の七夕祭り同様だったといいます。


9:46 田園地帯を伊勢原市方面に向かい散策 大山方面
9:52 富士山が見えた

10:16 平塚市 真言宗大光院 

真言宗東寺派の寺院。高台に位置し、六地蔵がある。






10:30 平塚市 浄土宗円徳寺

雨乞地蔵
10:35 金剛頂寺

弘安年間(鎌倉時代)東寺の僧 融仙が、関東来錫の砌、現在地(岡崎)に開創

室町時代後期、当地の真言宗の法相談所として隆盛をとげる。後に、矢崎村(当山東方約400m)に大森氏が住居していた頃、大森賢秀が造立
1558~1569年(永禄年間) 北条氏が岡崎城攻撃の際炎上し再建された
1591年(天正19年)寺領として五石を賜ふ。小田原北条氏印判状、御朱印箱等を今日に伝えている
1750年(寛延3年)鐘楼の鐘を掛
1780年(安永9年)火災にあい住職廣愿の代、再建の上棟を行なった記録が現在の建物に残されている。

徳川家との関係 

徳川家蔵書の「地詩の部」に、藩主お手許本の装幀をもつ「相中留恩記略」一揃のあるが、それがいつどのような経路によって藩候の手文庫に納まったかは不明。

相模薬師第十九番札所
相模薬師(さがみやくし)は、主に神奈川県(旧相模国)にある薬師如来を本尊とする名刹の総称、または「相模二十一薬師霊場」という巡礼札所を指します。最も有名なのは、日本三薬師の一つとされる伊勢原市の「日向薬師」。

10:58 平塚市の岡崎公民館で休息。隣の岡崎神社でランチ。

公民館前にある岡崎四郎よしみつの像 


11:06 岡崎神社祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)、猿田彦命、須佐之男命、応神天皇、大物主命、菅原道真です。 

由緒,伝承:
創立不詳、大同2年(807)の創祀という伝え有がある。治承の頃岡崎四郎義実当社を崇敬し屡々霊験を得たという。明応3には三浦道寸社殿の造営、寛永15(1638)に鴻鐘を鋳造し明治維新を経て山王社を岡崎日吉神社と改め更に明治41年雑社を合祀し岡崎神社と改称す。



 

境内にある、山王神社。祭神は、山王大権現、「農業商売の神」の宇加之御魂命、「福徳財宝などを授ける女神」の市杵島姫命、「学問の神」の菅原道真、「疱瘡除神」の大名持命です。

11:55 曹洞宗紫雲寺
平塚市岡崎にある曹洞宗の寺院、大森山紫雲寺(しうんじ)の創立の開山は宝堂宗梅(ほうどうそうばい)、開基は大森信濃守氏頼(おおもりしなののかみうじより)。
 開山・開基の時期:宝堂宗梅が永禄7年(1564年)9月11日に卒したと記録されており、室町時代後期から戦国時代にかけての創建とされています。
 由来・特徴:西田原村(現在の秦野市)にある香雲寺の末寺として創建されました。本尊は釈迦牟尼佛です。






12:08 岡崎四郎義實の墓へ向かう
12:21 到着
この先


12:30 途中なった道標
12:31 満開の梅

12:36 伊勢原市にある岡崎城址である浄土宗無量寺

勇将岡崎四郎義実によって築城され、軍事・統治両面を兼ねた名城でした。岡崎氏は、鎌倉幕府に重きをなした三浦四棟領の一つに数えられた名門で、桓武平氏の出と言われています。三浦一族の持城として要害を誇ったこの城も、北条早雲の猛攻により落城し、その本丸跡に建てられたのが無量寺です。





12:50 野陣台(相模岡崎城(後期)の兵士練兵場又は出兵するときの集結場所として使用されていたものと思われます。)から見たこれから行く腰取神社
野陣台からみた岡崎城址と無量寺

12:58 伊勢原市 腰取神社

江戸時代の天保年間(1830~1843)に創建。その後明治6年(1873)無格社に定められ、明治43年(1910)には岡崎神社に合祀されたが、町村合併時の分村合併に伴い中郡岡崎村から伊勢原町岡崎と地名が変わり昭和32年(1957)9月に分祀、旧に復し大句住民の氏神様として現在に至る。
 社殿は平成12年に立て替られ流れ造6坪。
 社名の由来は鎮座地が台地(腰)に位置を占め(取る)ていたので腰取神社と呼ぶようになったとの説がある。




13:04 人家の桜か梅か


 この後大句バス停から伊勢原駅にバスで移動し解散。

快晴の一日ながら急な暑さと花粉で難儀したウォーキングであった。