2024年5月22日水曜日15:11 晴れ
今日は秦野市観光ボタンティアと歩くに参加。コースは東海大学湘南キャンパス散策。
8:30第一陣として鶴巻温泉駅南口を出発。
日程表義忠は、岡崎義実の嫡男で、源頼朝が1180年(治承4年)に源氏再興の旗挙げをするとこれに従ったが・・・
石橋山の戦いで俣野景久(大庭景親の弟)と戦い、いったんは景久を組み伏せたものの、血のりで刀を抜くことができず、駆けつけた長尾定景に討たれた。
境内には与一廟があり真田尊と呼ばれてきた。
「たんが喉につまったことにより討たれた」という伝説から、ぜんそく・たん・・せきの神として崇められている。
義忠が討死した石橋山古戦場には、佐奈田霊社が祀られている。
8月23日には石橋山に布陣。
先陣を命じられたのは佐奈田与一義忠。
頼朝から「大庭景親と俣野景久を討って手柄をたてよ」の言われた与一は、郎党の文三とともに壮絶な死を遂げます。
塚越古墳のような4世紀の年代が与えられる古墳は、河川がもたらした肥沃な耕地を生産基盤とする首長の政治的支配の出現を意味し、ヤマト政権との関わりや、地域の成り立ちを考えるうえでも欠かせない貴重な文化財といえます。特に前方後方墳は一般的な前方後円墳と異なり、独自性を想定させる地域の歴史には欠かせない遺跡です。
本殿は、神社覆殿の内部に祀られている。平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない春日造(かすがづくり)の本殿である。春日造というのは、奈良の春日大社本殿に代表される神社建築の一形式。
建立年代は、江戸時代前期(17世紀中頃~後半)と推定され、平塚市内の神社建築では最も古いもの。
天保12年(1841)に編纂された『新編相模国風土記稿』には「幣殿、拝殿、神楽殿等あり」と記されており、当時これらがあったことがわかる。現在境内に建つ幣殿・拝殿及び本殿を収める覆殿は、慶応4年(1868)に造られたもので、そのことを示す棟札(むなふだ)が残されている。
10:42 松前門から中に入る。円筒の建物は3号館
現・神奈川県秦野市にあたる大住郡南矢名村の豪農の家に生まれる。父は県会議員、村長を務めた厳格な人物であった。前田家は豪農で駅まで他人の土地を踏まづに行けたとか。
前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、神奈川県出身の日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名・前田洋造(洋三とも)。長男の前田透も歌人であり、歌誌「詩歌」[1][2][3]を引き継いだ(『評伝 前田夕暮』前田透)。
尾上紫舟に師事。歌集『収穫』(1910年)で自然主義歌人として牧水と並称された。その後北原白秋らと「日光」を創刊。『水源地帯』(1932年)では、自由律短歌に傾くなど、生涯新境地を求めた。


