2025年12月5日金曜日15:30 晴れ
今日は秦野観光ボランティアと歩く企画に参加。天気は風もなく快晴。
7:46 開成駅から富士山を望む
8:39 秦野駅今日のコース案内8:52 天台宗龍門寺
龍門寺は、1591年〈天正19〉に徳川家康から寺領5石(こく)の朱印を受けている。その墓域(ぼいき)には、1848年〈嘉永元〉に、54歳で亡くなった岡田正司の筆子塚がある。越後藩士だったが、浪人となって曽屋村に住み、妙相寺で寺子屋を開いた。門人200余人が師匠のために建てた墓である。また、元町に塾を開いた亀井愛水〈溝呂木守道〉は、1869年〈明治2〉に龍門寺に塾を移し、修身館と称した。1873年〈明治6〉に修身館は公学と認められ、第154番小学の初代校長となった。本町小学校の前身となった修身館は、1877年〈明治10〉に火災で焼失してしまった。当時の生徒数は、男子185名、女子82名と伝えられている。龍門寺には、曽屋水道の功労者である梶山良助の墓もある。
鯉の滝登り龍の彫り物
「番霊塔(ばんれいとう)」または「万霊塔(ばんれいとう・ばんりょうとう)」とは、この世のあらゆる生命あるもの(人間、動物、虫など)すべての「霊(みたま)」を供養する目的で建てられた石塔で、寺院の境内や墓地、村の境界などに多く見られ、「三界萬霊塔」(さんがいまんれいとう)とも呼ばれ、特定の故人だけでなく、広く衆生(しゅじょう)の救済を願うものです。
大山が見えた龍門寺周辺は御門という。昔平将門がこの地に都を造営しようとして滞在して造成を行い、今日の都の地名をまねて町名をつけた名残だ。次に行く八坂神社も同じだそうだ。最終的にはお告げがあり、この地を去ったそうだ。9:02 八坂神社
創立年代は不祥なるも、牛頭天王を祀ってあったので御門と言う地名が生まれたとされ、享保12年鋳造の鐘桜には、「末社弁天蘇民将来稲荷」と記されたと云うが現存しない。石灯籠には享保三年と刻まれている。明治6年7月、曾屋神社に合祀されたが御門の氏子の信仰篤く、合併後も正月9日・5月5日・9月9日を中祭と定めて祭事を執行し、鳥居、狛犬、手水屋等奉献され神楽殿も建築された。独立の希望強く、昭和51年9月、神社庁の指導と承認を得て八坂神社を創立し、翌年宗教法人として認証された。
9:19 はだの富士見の湯
名水はだの富士見の湯は、2017年10月1日にオープンしました。
美肌成分として知られる「メタけい酸」が豊富に含まれる天然温泉です。
丹沢の自然豊かな恵みの中で育まれた良質な軟水が自慢です。
9:39 男坂は行かず女坂へ女坂男坂女坂途中の花
9:52 馬場道
そばにあったアラカシの木
9:59 権現山へ行く階段を行かず、紅葉がきれいな横の道を行く。
10:12 権現山の展望台から見た景色
10:18 権現山の頂上
展望台
11:01 権現山を下りて馬場道に戻った。富士山が見えた。
11:07 初めての坂道を下り龍法寺に向かう。枯葉で滑りそうだ!実は2人滑った。百八松明
五穀豊穣・悪疫退散を祈願して、毎年8月14日、弘法山の麓の瓜生野地区で数百年も行われていると伝えられている行事です。長さ2メートルから3メートルの松明約50本が、権現山山頂から龍法寺門前まで地元の人々に担いで運ばれ、門前で松明を振り回します。
11:34 龍法寺に到着
現在は曹洞宗(そうとうしゅう)だが、古くは真言宗の寺であった。1591年<天正19>に徳川家康から寺領5石の朱印を受けている。寺には室町時代の一本造りである十一面観音像や薬師如来像が安置されている。また、両像の脇侍(わきじ)と伝えられる毘沙門天(びしゃもんてん)像と不動明王像の銘(めい)は、1534年<天文3>とあり、平成2年度に市の指定重要文化財となった。
不動明王薬師如来十一面観音毘沙門天不明不明本尊の釈迦如来
12:02 最後の長福寺
長福寺は1573年(天正元年)に、八沢の宗淵寺の4世によって開かれました。それ以前は天台宗の西念寺と呼ばれていました。1591年には徳川家康から社領の朱印を受けています。明治時代には、1873年(明治6年)に上小学校の前身となる柳川村第106番小学誠意館がこの長福寺に開校されました。境内には平安時代に作られたとされる珍しい「木造十一面観音菩薩立像」が安置されており、安産や子育ての観音様として信仰されています。整備された美しい庭園も見どころの一つです。
洞窟:境内裏には1852年(嘉永5年)に掘られた洞窟があり、天下泰平や五穀豊穣を祈って五神が祀られています。
秦野市の五神窟(ごしんくつ)は、長福寺の境内にある洞窟で、弁財天・不動明王・荼枳尼天・愛染明王・毘沙門天の5体の石像が祀られています。この洞窟は江戸時代末期の嘉永5年(1852年)に掘られたとされており、天下太平と五穀豊穣を祈願するために五神が祀られたそうです。
洞窟に入るぞ荼枳尼天(だきにてん)毘沙門天不動明王愛染明王弁財天宇賀神 中世以降日本で信仰されてきた神様で、財をもたらす福神として知られています。その姿は人頭蛇身で、とぐろを巻いた蛇の体に老翁や女性の頭部を持つ姿で表されることが多いです。元々は穀物の神様や福の神として信仰されていましたが、後に仏教の弁財天と習合し、「宇賀弁財天」とも呼ばれるようになりました。不明?
無住の寺
12:19 宮田のバス停で解散。東海大学前駅まで2キロ程度なのであるいていく。12:23 東海大学前駅手前で。
風もなく穏やかな天気で最高のハイキング日和。初めてのコースで堪能!